落車入院日記 4,カテーテル

僕の下の毛を剃ったクールイケメンが去ると、中堅どころくらいの年齢の狸顔の医者がやってきた。

「今回行うカテーテル治療を説明します。今、脾臓に動脈瘤ができているんだけど、これが破裂して出血すると非常に危険なので、動脈瘤になっている部分にコイルを入れて詰めます。方法としては、右の股関節あたりの血管からワイヤーを入れ、それをガイドにしてコイルを詰めます。」

なるほど。

自転車乗りに説明するなら、内装式フレームでワイヤーを通すときに、ライナー管をガイドにしてインナーワイヤーを通すみたいにするといえばいいだろうか。つまり血管がライナー管ということ。


「では、治療室に移動します。」

ストレッチャーに乗せられてICUを出て院内を移動する。
治療室は広く、真ん中にレントゲンの機械があった。

レントゲンを撮ったことのある人なら何となく想像できると思うが、なんか機械みたいに体を押し付ける or 押し付けられるみたいな感じなのは同じ。ただ、違うのがサイズ。台のようなものに寝て、全身をカバーするほどの大きい四角い機械にサンドイッチされるような感じだった。

そのレントゲンの機械の下で、服を脱がされブルーシートのようなものをかけられる。右の股関節あたりに麻酔の注射をされ治療が始まった。

そう、全身麻酔ではなく、局部麻酔だったのだ。

麻酔を打つのは人生初だったのだが、全くと言っていいほど痛みは無かった。血しぶきの跡が見える右の股関節を「これはほんとに僕の体だろうか」なんて思いながら見ていた。

「見ていた」なんて書いたが、全身麻酔ではないので意識があったのだ。
そのおかげで手術中基本的に何が行われているか、自分の目で見ていた。

手術中はずっとさっき言った機械でレントゲンを撮りながらである。
なので、「お、今ワイヤーはこのあたりか」なんて自分の体の中でワイヤーが動いている様子をモニターで見ていた。お医者さんたちが「こっちから回そうか」とか「そのまま行こうか」とか言っているのも全部聞こえていた。

麻酔と痛み止めのせいか、半分寝ながら治療は進んでいった。

「終わりです。」

狸顔の医者が言う。
その声で起きた。

治療開始してから3時間半ほどたっていた。
鈍痛はあるものの、これと言って何かあるわけでもなく、つつがなく人生初の手術は終わった。

右の股関節には頑丈そうなテープが貼られ、
「今日は、右足は曲げないでね」と注意を受けた。


「そういえば、ロードバイクでこけたんだって?僕もロードバイク乗るんだよ。」
狸顔の医者が言う。
「しまなみ海道とかよかったよー。」
「しまなみ海道行ってみたいです。」
「うん、行ったほうがいいよ。あ、あと、脾臓って内臓の中でも痛みを感じやすい臓器だから気を付けてね。


この言葉の意味をこの先1週間、嫌というほど思い知ることになる。


~~~~~~~~~~~~~~~~~


ICUに戻るころにはすっかり夜になっていた。

「痛ぇ」

思わずうめき声が漏れる。
落車した時よりもずっとずっと痛い。
さっきの狸顔の先生が言っていたことが、身に染みる。

たまらず、ナースコールを押す。

「Tomyさん、どうされました?」
「すみません。結構痛いんですけど。」
「かなり強い薬を使っているのでじきによくなりますよ。」
「わかりました。」

結局この日は、「じき」は訪れず、つまり、痛みはよくならず、呻いたり叫んだりしながら浅い眠りについた。

・22日

「浅い眠りについた」と書いたが、実際にところほとんど寝られないまま朝を迎えた。

尿管から流れている尿は赤色が混じっている。
血尿である。

「血中の酸素の濃度が低いから、マスクタイプに変えようか。」

看護師さんが言う。入院した時に、酸素の管は鼻にさしていたが、それでは弱いらしい。
ほどなくしてドラマでよく見る、口と鼻を覆う酸素マスクがつけられた。

「グォォー」

すごい勢いで口に風が当たる。これは口がガビガビになるな、と感じた。一時間後、案の定ガビガビになった。ドラマなんかでよく酸素マスク外してキスシーンとかあるけど、(そもそもあれ勝手に外していいのか)病人のほうは、口はガッビガビで唇はガッサガサなんだな。世の中知らないほうがいいこともあるもんだ。


ICUにいると時間の感覚がマヒしてくる。
まだ食事も食べられなかったので、ほんとに何時かわからなくなる。
痛み止めのせいか、まどろみながら過ごしていると、消灯時間が来たようだ。
「今日は、いつもの痛み止めと一緒に、別のも合わせて使いますね。」
そこで、ぷつんと僕の記憶は途切れた。

・23日

「Tomyさん、おはようございます。もしもし?Tomyさん?」

自分を呼ぶ声がして目を覚ます。

僕を呼んでいるのは誰だ。
というかここはどこだ。
僕の家ではない。
そもそも、僕は誰だ。

「Tomyさん、ここはどこだかわかりますか?」白い服を着た人が尋ねる。
「えーと、えーと、えー」どこだ、ここ。思い出せない。

「大丈夫ですか?」
その一言をきっかけに少しずつ記憶がよみがえってきた。
そうだ落車して、病院に入院しているんだった。

「えっと、ここは■病院のICUです。」記憶を手繰り寄せながら答える。
「あ、よかった。よく寝られました?」
「はい。すごくよく寝られました。」

おそらく、薬が効きすぎたのだろう。
ほんとに記憶が飛ぶことってあるんだな。
少し怖くなった。

時間感覚がなく、横になっているとまた夜が来た。
「多分明日になったら、胃管外せると思うから。」看護師さんが言う。
「ほんとですか。」

正直言うと一番外したい管であり、今すぐにも外したいとずっと思っていた。
それほどまでに胃管の違和感はすごかった。

「うん。お医者さんと相談してからだけど。じゃあ、電気消すね。」

この夜も痛く、呻いたり叫んだりした。

・24日


「なんだこれ」

僕はネバネバした管を持っていた。

「これもしかして胃管じゃないか?」慌てて鼻に手をやる。ない。そこにあるはずの胃管がない。ということはこの手に持っているものは...胃管だ。それにしてもどうやって抜いたんだ。記憶にない。僕が持っている以上、僕が抜いたことは確定なんだが。そんなに抜きたかったのか。仕方なくナースコールをする。

「すみません。胃管抜いちゃったみたいなんですけど。」
「えー!大丈夫だった?」
「あ、はい。大丈夫なんですけど、どうやって抜いたか記憶にないんです。」
「本当にだいじょうぶなんだよね?」
「はい、大丈夫です。」
「じゃあ、胃管もらっちゃうね。なんかあったら、すぐに呼んでね。」
「あ、はい。すみません。」

まだ時間は午前の2時をまわったところだった。


昼過ぎ。
「おなかが張ってて苦しいんですけど。」ナースコールした僕は、看護師に言う。
「うーん。ずっと排便してないんだもんね。かんちょうしてみようか。」
かんちょうってなんだ。小学生とかがふざけてやるあれか。そんなわけないか。
「かんちょうってなんですか?」素朴な疑問をぶつけてみる。
「浣腸っていうのは、お尻の穴から薬剤を入れて便が出やすくさせるもののことよ。」

なるほど、そんなものがあるのか。
「ちょっと待っててね。取ってくるから。」
その看護師はすぐ戻ってきた。
「浣腸するから横向いて。」
言われたように横を向く。
「じゃあ、いきます。」
「んっ、ンンンッ」ツーンとした痛みがはしる。
「はい、大丈夫です。少し経つと催してくると思うので、そのままおむつに出しちゃってください。」

そう、言うのが遅れたが、入院してからずっと僕はおむつ生活である。幼児の頃以来の、久々のおむつ生活である。懐かしさはない。

言われた通り待っていると、突然、グワッと腸が動く感覚と同時に約1週間分の便が盛大な音とともに出てきた。気持ちがいい。心なしか体が軽くなった気がする。

「なんで自力で排便できないんですか?」僕の汚いおむつを取り替えてくれている看護師さんに聞く。
「それはね、痛み止めの副作用でほとんど腸が動いてないからなの。」
そうなのか。早く治ってほしいと切実に思った。
浣腸は何回もしたくない。

その後、CTを取る。2回目となれば造影CTの電子レンジ感も慣れる。
「夕食から食べていいから。」CT室から帰ってくると狸顔の医者に言われる。ほどなくして夕食の時間が来たが、食欲は全くない。まだ体は起こせないので、看護師さんに食べさせてもらう。全体の三分の一を食べたほどで、おなかがいっぱいになった。

消灯時間が来た。
少し良くなったのか、いつもより呻いたり叫んだりしないで寝た。

・25日

「Tomyさん、今日から個室に移ります。」

朝一番、看護師さんが言う。
つまりもうICUにいなくても良くなったということだろう。
そのことに関しては少しほっとした。

移った個室は角部屋で大きい窓のある部屋だった。

何より静かだ。
最初にそう思った。
ICUはほかの患者もいるので結構うるさいのだ。


僕のいたICUは大きな教室の倍くらいの広さがあり、歯科医院みたいにベッドがずららららと並んでいると言えば伝わるだろうか。仕切りはパーテーションだけ。なので、他の人の治療に使われていると思われるよく分からないモーター音とか、明らかに体に悪そうな痰の絡んだ咳とか全部聞こえてくるのだ。

だから、僕の下の毛の剃ったバリカンの音も、毎晩、痛みに呻き叫んでいた声も他の人に聞こえていたはず。すみませんでした。


「体調どう?」突然、狸顔の医者が入ってきた。
「あまりよくはないです。」と僕。
「そっか。それで、昨日のCTの結果なんだけど、、、

追加でカテーテルが必要ということがわかりました。」

「へ?」

ちょっと待ってくれ。
また眠れない激痛生活に戻るのか。

そう思った瞬間、ものすごい徒労感が襲っていた。

なんだこの、すごろくのゴール寸前での「スタートに戻る」感は。



つづく。





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