『家島散歩』

「GWの二日目の今日はよく晴れて行楽日和となるでしょう」
そう聞いて家を飛び出した。

向かった先は家島。姫路沖に浮かぶ島である。 
関西は離島への距離感が近い。
朝起きて、「じゃあ日帰りで離島に行こうか」とは千葉ではまずならない。
それができるのが関西だと思う。

とりあえず新快速で姫路へ向かった。


姫路駅からはバスで姫路港へ。
この日は自転車持っていかなかった。

単純に大げさかな、と思った。
実際、もっていかなくて良かったと思う。
持っていくなら折り畳みだろうと思う。
持ってないからはっきりとはわからないけど、でも、たぶん大きく外れてはいないと思う。


姫路港からは小豆島へのフェリーも出ていた。
小豆島へ向かう人の方が明らかに多く、向かう人たちは観光客が多いのか、浮かれている様子だった。家島へ向かう人は地元民か帰省と思われる人も結構多かった。


高速船に乗り込み家島へ。




飛沫を飛ばしながら進む高速船。
思ってたよりもいいスピードで飛ばしていた。


姫路港を出発し大体30分。
家島の真浦港に到着した。




穏やかな海。
久しぶりの瀬戸内海。
ふと、しまなみ海道を走ったときを思い出した。
あの時もそういえばこんなふうに穏やかだった。

家島に来たからと言って特に何かするあてもなかった。
強いて言うなら、島の時間を感じたかった。
旅はその場に流れる時間と自分の日常の時間を交換するものと定義するならば、立派な旅だったと思う。

もうここから先の時間の過ごし方は言葉で説明するよりも、写真を見てもらう方が良いと思う。一言でいうならその島の時間が流れていた、ということなのだけど、それは僕の拙い言葉を尽くして伝えるよりも、写真の方が雄弁に語ってくれていると思う。


家島にはGRしか持ってこなかった。
前に佐渡を旅にしたときに「離島はカブで旅をするんだ。デカいバイクも何台か持っているけど、でもカブなんだ」と力説していた人に会ったことがある。おそらくだけど、感覚としては近いものだろうと思う。


GRの良さは多分、離島で使うと分かる気がする。


到着した真浦港からは、まず宮港方面に向かった。
理由は特にない。


バイクというか原付が多い島だった。
島の主要な交通手段なのだろう、と思う。






春過而、未夏来。









清水の浜。
名の如く清麗な浜だった。









宮港を過ぎてさらに海岸線沿いに進むと家島神社が見えてくる。


参道を通って山の方へと向かった。



紅葉も好きだけれど、青い方が好きかもしれない。




階段を上って社殿へ。



上を見れば。
緑が鮮やかな季節になった。




神武天皇がここによるということは、神武東遷のタイミングということだろうか。


階段を登り切り、燈篭のある道を歩くと社殿へとたどり着いた。





隣の男鹿島。
採石場となっているようで独特の景観。




階段を下る。
木の隙間からは漁港が見えた。





再び海へ。





家島神社のすぐ前。
ここはほとんど人がいなかった。
ベンチに腰掛けゆっくりした。
気が付いたらかなり時間が経っていた。



空気の色が黄色を帯び始めたところで真浦港へ向かった。




そのまま来た道を戻るのも芸が無いので、清水公園のほうへ。
写真の通り少し高さがあって、視点が変わる。




ベンチ。



眺望石。
28㎜のカメラでも画角を狭めることができる素敵な石。







山道を抜け、住宅の並ぶ地区に戻ると細い路地が入り組む素晴らしい場所だった。














船が通った後。
船が通った跡。








京都に来て1か月。

海が遠くなった。
別に、実家にいたときでも、すぐ海を見に行くなんてことは無かったけれど、でも今自分がどこに向かっているかは、どっちに海があるかを基準に考えていた。汽笛の音が聞こえ、夏は潮風が吹いて部屋がじゃりじゃりになり、ありとあらゆるものが錆びる、そんなところで生まれずっと育った。見えなくても感じる、それが僕にとっての日常の海だった。

懐かしい、寂しい、とは思わない。
けれど、海を感じなくなったなあ、とただ、そう思った。




夕暮れの足音が大きくなってきた。



折角なので、晩御飯を食べてから帰った。





帰りの高速船が真浦港から出るころにはすっかり夜の帳は下りていて、船の駆動音と波しぶきの音で、やはり相当なスピードで飛ばしていることが分かった。


姫路港に戻ってきたのは8時を過ぎていた。

上にも書いたけれど、旅とはその場に流れる時間と自分の日常の時間を交換するものなのだとすれば、この日は旅だった。家島の日常と交換してきた。そして、その場に流れる時間と交換するという点において、旅は、ある種、社会的な死に近いのかもしれないと思った。決してこれはネガティブな意味ではなく。

日常の諸々に押しつぶされそうな自分を一旦殺し、旅先の時間を過ごす自分を拵える。だからこそ「旅の恥は搔き捨て」られるのだろうと思う。日常の自分はその場では死んでいるから。そういう時間が必要な時がある。実際に「搔き捨てる」かどうかは別として、「搔き捨てられる」と思えることが大事な時があると思う。そしてそういう時間が欲しかった社会人1年目のGWだったと、ここに書いておこうと思う。

数年後、読み返して、ああそんなこともあったと思うかもしれないし、あんまり変わらないなと思うかもしれない。それは分からないけれど、書いておこうと思う。

おしまい。






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