朝起きて、快活から出た。
良い天気だった。
文字通りの「快い晴れ」であった。
快活の前で旅の同行人であるgatさんと合流した。
gatさんはこのブログでは3回目の登場。
僕は旅は一緒にいて楽しい人としか行かないと決めている。
gatさんと3回目のライド。
そして今回は初めての宿泊込みのツーリング。
それ以上は言わなくてもいいだろう。
そういうことである。
輪行で西鹿島駅へ向かった。
西鹿島駅のある遠鉄電車は地元の足としてよく利用されているようだった。
上り下りともに朝の時間帯は10分ちょっとおきに電車が発着しており、しばしの間、僕らも地元の人の生活が始まるその静かな活気に混じって電車を待った。
この日のルートは以下の通り。
西鹿島駅で輪行解除をし、天竜スーパー林道へと向かった。
西鹿島駅から25㎞ほど走った地点でスーパー林道へ取り付いた。
天竜スーパー林道へはいくつかのルートがあるのだけれど、今回は阿字山林道を使った。理由は特になく、強いて言うなら距離的にここを使うのが一番短そうだった、というぐらい。ルートに挙げた通り、今日は130㎞に迫る旅路。まだまだ先は長い。
阿字山林道に入った途端、斜度が急にきつくなった。
だいたい斜度15%くらいだったと思う。
RWGで見てみると、この区間から天竜スーパー林道までは6.5㎞で700mの標高差。平均斜度にすると10%を超えていたので、やはりそれなりにそれなり。「そういえば御荷鉾スーパー林道も似たような感じだった」なんてことを話しながら登った。この日一番きつい登りだったように思う。
静岡県らしい茶畑の間を、縫うように走る。
「らしい」なんてステレオタイプ的に捉えているけれど、こんな風に静岡で茶畑を縫うように走ったことは無かった。「なるほど、これが自分の思っていた静岡らしさ、か」なんてことを思いながら走った。急に「ライオンを描いて」と言われて描いてみると、全く似てない何かになってしまうのと同じで、自分が思っているよりも、自分の持っているステレオタイプの解像度は低い。改めてそう思った。
そんなことを考えたり、二人で話をしていると、気が付けばスーパー林道にたどり着いていた。実際は、考えを巡らせていた時間はあまり長くなく、登りのほとんど話をしていた。
今回、僕がGatさんを誘ったのはほとんどそれが目的だった。
自転車機材の事。
カメラの事。
自転車乗りの中で自分たちの立ち位置はどのへんか。
そんなどうでもいい話をしていた。
個人的に一番面白かったのは自炊の事。
そういう話をする場面は普段の生活の中ではあまりない。
就職を機にこの春から一人暮らしを始めた僕は、下宿をして大学に通っている、つまり一人暮らしの先輩であるgatさんに、常備菜はどうしているかとかいろいろと聞いたりしていた。ちなみに僕は今、そのときGatさんが教えてくれたサラダチキンを食べた後で、キーボードに向かっている。
天竜スーパー林道は浜松市天竜区を南北に走る、延長全長約53kmのスーパー林道である。
道は稜線沿いに走っており、従って僕らも稜線沿いに走った。
大体そういう道は、アップかダウンしかない。
天竜スーパー林道も例に漏れずそういう道で、緩やかにひたすら登りと下りをくり返しながら北へ針路をとった。
この辺りからgatさんの元気が無くなっていた。
「昨日、諸々あって寝るのが遅くて、寝不足で体調が悪いです」と。
「ここでか」と思う気持ちも無くはなかった。
けど、その反面、その理由が僕は少し羨ましくも思った。
簡単に説明するとGatさんは単純に少し無茶な行程を組んでいた、ということなのだけれど、最近僕はそういうことがなかった。僕はもともと石橋を全力で叩くタイプだし、旅の経験も少しづつついてきて、そういう「なんで!?」と思わず口にしてしまうような行程が全くと言っていいほど無くなっていた。
もちろん、無ければ無いでいい。
でも、そういう激烈なスパイスの効いた旅を、ふと、またやってもいいかな、なんて話を聞きながら思った。
そして、この日は5月にしてはかなり良い天気だった。
つまり、それなり暑かった。
多分、体調不良だったのはそれもあったのだと思う。
天竜スーパー林道は先述の通り、基本的に尾根沿いに進むので、展望は開ける場所が多かった。
そうは言っても、バーンと開けるというよりは、途中で木々が途切れてその間から遠州の山々が覗くといった具合だった。
僕はふとした瞬間に、「深い山を見たい」と思う瞬間がある。
その発想が山から離れた、いわゆる都会の人間の発想だなと思うけれど、そしてそれは山に囲まれた場所に住んでいる人からすると鼻で笑われるような考えなのだろうけれど、そう言うのは一旦置いといて、そう思う瞬間がある。
そして、こういう景色を求め、どこかへ出かける。
僕の目の前に、ひたすら山が続く。
そうこうしているうちに、山住峠に到着した。
時刻は14:30を過ぎるころだった。
峠の茶屋の「大杉」で遅めの昼ご飯を食べた。
山菜うどんと、ヤマメの塩焼きを食べた。
塩気が五臓六腑に染みた。
もうこの日の営業時間はおしまいということで、こんにゃくはサービス。
ぎりぎり滑り込めて良かった。
この時間に営業している飲食店というのは、辺鄙な場所になればなるほどほとんどなくなる。水窪まで下れば、というのもあるにはあるけれど、そうすると3時を越えてしまう。3時というのはランチタイムの最終ラインであり、そこを超えると営業中の可能性はだいぶ低くなる。
なにより、ご飯を食べたGatさんが多少元気になったので僕は少しほっとした。
ご飯を食べた後は山住神社に参拝した。
山深き場所らしく、オホヤマヅミを祀っている。
山住峠は天竜スーパー林道と県道389号線との交点でもある。
山住峠より先、水窪ダム方面へは2022年現在は通行止め。
僕らは県道389(水窪森線)線を通って、天竜スーパー林道の西側を走る天竜川沿いの町、水窪まで下った。
水窪森線はタイトなコーナーが続く、これぞ峠道と思わせる下りだった。
標高1000mを越えた場所にある山住峠から、750mほどを一気に下りおりる。
布滝周辺は岩肌がせり出して俄かに空が狭くなった。
そこを過ぎると快適な2車線道路になり、水窪に至る。
どうでもいい話だけれど、水窪はミサクボと読む。
水をミサと読むのは珍しいと思う。少なくとも僕には記憶がない。ミナとかならよくあるけれど、S音は何処から来たのだろう、などと標識を見ながらふと思った。
R152を南下し県道290号線で佐久間方面へ向かった。
七言絶句だろうか。
この辺りは南北朝時代の南朝関連の話や伝説が良く残っているらしい。
大学の講義で教授が「中世を一言でいうならカオスです」と言っているのを聞いて、めんどくさがりな僕は勉強をする気を失ってしまったけれど、もう少し真面目に聞いておけばよかったな、と今更後悔した。
そんな後悔ばかり思い出す。
北条峠からさらに南下すると、急に展望が開ける場所があった。
Googleマップに「中央構造線断層谷観察地」と登録されているように、ここから南向きに見ると中央構造線の断層谷を見ることができる。
中央構造線は、およそ1億年前、まだ日本海が開く前の、日本列島がアジア大陸の一部だった時代に、海溝と平行に大陸の中にできた断層です。中央構造線は、プレートの境界だったことはありません。あくまでも大陸プレートの中にできた大地のズレ目です。
(大鹿村中央構造線博物館HPより)
なるほど、とはならない。
まったく、分からない。
古い時代の大きい断層であり、ここで地質が異なり、この眼前の谷は断層の働きよりできた、と言うことらしい。
残念ながら、これを見て地球を感じる感性は僕にはなかったし、そんな知性も無い。
ただ、自分には見えてないものがあるということだけを認識した。
目に見えるものが全てではない、という表現は手垢でベトベトになっている表現だけど、目に見えてないものを認識するのはそれほどまでに難しいのだろうとも思った。
そのまま佐久間へ降りたあと、補給食と水を買い込んで天竜川沿いに再び北へ針路をとった。
佐久間ダムにたどり着く頃には、夕闇の気配を十分に感じていた。
佐久間ダムは、なんの時だったか、確かあれは大学の授業だったと思うけれど、この動画を見てから、ずっと訪れたいと思っていた。
ここ静岡県磐田郡佐久間村。
今全国民の主張を集めて、
我が国最大の発電用ダムが
造られようとしている。
総工費260億円。
延べ人員350万人に及ぶ
佐久間ダムがそれである。
森林と高山のほかには、
険峻な山々と渓谷によってその発展を遮られ、
天竜下りで世に聞こえた流れの畔、
静かな朝夕を結んでいた佐久間村。
この大自然の片隅に、
昼夜を分かたず発破が轟き、
近代土木技術の精鋭が結集されて、
雄大な国土総合開発の
新しい1ページが開かれたのは、
昭和28年の春である。
1部2部とそれなりに長い動画だけれど、興味があれば見て欲しい。
今の、少なくとも僕が生まれてからの日本とは異なる独特の高揚感が、格調高く落ち着いた口調と、迫力のある動画ににじみ出ている。
話を旅に戻そう。
繰り返すが、夕闇迫る佐久間ダムであった。
このまま何もなければ、宿に着くよりも前に夜が僕らに追いつくだろう。
それは、まあいい。
なんとでもなる。
気がかりだったのはgatさんの体調である。
山住峠で一旦は回復したものの、ここまでの疲労があってか、すこし体調が悪くなっていた。幸いにしてここから豊根村までたどり着ければ、飯田線がある。そこまで何とかなって欲しいと思いつつ、ならなかったときのことを思案しながら、素掘りのトンネルが連続する薄暗い湖畔を北へひた走った。
県道1号線は、暗く細く長い道だった。
山肌が迫り、木々が覆い被さり視界を遮る。
時間帯も相まって、妖しい雰囲気を感じる場所をいくつも越えた。
きっとそれは朝や昼には開かれない扉であり、異界の駅にたどり着くかもしれないと、そういうことを感覚的なレベルで理解できるような、暗く細く長い道だった。
案外、僕は夜に走るのが嫌いではない。
それは、夜独特の気怠く重たい空気が好きというのもある。
あるいは、暗闇を走るという非日常感がたまらなく高揚感をもたらすからというのもあるのかもしれない。
とはいえここ県道1号線は街灯は全くない。
さすがに一人だと楽しむ余裕はなかっただろう。
そういう山道だった。
豊根村に着く頃にはとっぷり日が暮れていた。
正直、この辺のことはあまり覚えていない。
暗く、視界はほぼフロントライトの照らす範囲のみ。手元のサイクルコンピューターは走行距離を告げてはくれるが、いくつ曲がったかもわからない川沿いのカーブと、緩やかな短い上り降りを繰り返し、進んでいるのか、それとも同じところをループしているのか分からなくなるほどだった。
天竜川橋を越える。
平岡の灯りが見えたとき、僕は心底ほっとした。
「何もなくたどり着くことができた」
その安堵感は、とてつもなく大きかった。
時刻は8時手前だった。
宿に着いてから食べた晩御飯と、温泉がどれだけ染みたかは、もうここに書くまでもない事だろうと思う。その感覚は当事者か、あるいは同じような経験をしたことのある人だけが感じるものだと思う。そのまま僕は安堵感に包まれて柔らかな布団の中で眠った。
つづく。
一日目はこちらから。
実際走ったルート。
走行距離:116㎞ 獲得標高:2448m |
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