『GW三遠南信新緑ライド』3日目 天竜峡~分杭峠~杖突峠

ベッドで起きる朝は浮遊感がある。
それは意識が夢遊しているというのも多少はあるが、それ以上に布団が柔らかくてスプリングがふわふわしているという意味で、である。

これは単純に僕が普段、煎餅布団で寝ているからだろう。
だから、僕にとってそれこそが旅先の朝というものなのだ。

昨日、夜もとっぷり暮れて着いた平岡の駅に併設された宿は、どこにでもありそうな旅館と安いビジネスホテルを足して2で割ったような風情だった。

「朝も温泉に入れますよ」と聞いていたが、やめておいた。
それよりも布団でゆっくりしたかった。
二日連続で獲得標高が2000mを超える旅路だ。
僕だってそれなりに疲れていたのだ。



朝食を食べ宿を出た。
この日も良く晴れていた。

この日のルート予定は以下の通り。


今日も今日とてよく登る旅路である。

平岡からは国道418号線ではなく県道1号線を往く。

この国道418号線という道から逸れずにそのまま走れば国道152号線に至る。
そこから北は下栗の里、しらびそ高原や地蔵峠。
反対に南は兵越峠あるいは点線国道の青崩峠。
今回は見送ったが、いずれの道も、きっと、いつか、必ず。

さて、今回は走った県道1号線は天竜川沿いの道である。
温田駅近くまでは天竜川がすぐ側に流れ、そのおかげか開放的な道だった。
















この日は5月5日、端午の節句だった。
鯉幟を見て、そういえば、そうかと思いだした。
僕は、こういう記念日を普段意識することが無い。
それは日々の中でそういうことを考える豊かさが無くなっているとも言えるけれど、単純にそういう豊かさに気が付くことを放棄している怠惰な僕がいるというだけなのだろう。

だから、というわけではないけれど、旅先でこういうふうに気が付くと、僕は無性に嬉しくなる。



天竜川の左岸へと移り温田を過ぎると、県道1号線は川の畔から離れ、天竜川が作り上げた河岸段丘を登ったり下ったりを繰り返す道となる。






ー泰乎通
昭和11年、矢作水力が門島発電所建設の公共報償として、門島駅より村内中央へ初めて車道を建設しました。この車道は、村の安泰に通ずる道であるとして「泰乎通(たいこつう)」と、当時の千葉 了長野県知事の揮毫の文字を路傍の岩盤に刻んだものです。

県道一号線と呼ばれる所以を見た気がした。



淡々と進むと、さっきまですぐそばにあった流れは、それほど登った記憶もないのに気が付けば眼下の山の切れ間になっていた。




河岸段丘を登り終え、天竜峡駅方面へと下る道。
それがこの県道1号線のハイライトだった。
まだ頭の方に白い化粧を残した中央アルプスが見え、天竜川沿いに広がる街にダイブするかのようなダウンヒル。
僕は「うぉーーーーー!!!」と叫んだ。
後ろからも同じような声が聞こえた気がした。
きっとgatさんも同じだったのだろうと思う。

ここの写真は無い。

それはきっとカメラに映らない類のものだった。
電線が行き交っていて山々の冠雪した部分が綺麗に撮れないとか、家がごちゃごちゃしていて街が広がる感じが写し取れないとか、止まって撮ってしまったら街に飛び込んでいく感じが撮れないとか、そういう理由を付けて説明するのは野暮だろう。

止まらないで駆け抜けたかった。
そういう道だった。
理由はそれで充分である。

写真は確かに旅の記憶を鮮明にしてくれる。
でも、写真のために旅をしているのではない。
後から思い出すために旅をしたいのではない。
その瞬間にしか見られないものが見たくて旅をするのだ。

もし全ての旅路がデータとして残せるようになったとしても、目で見たもの全てがVRで再現できるようになったとしても、僕は全て記録することはしないだろう。
それは、とてもとても貧しいことだと思うのだ。



街に入ると空が広くなった。




この飯田の辺りの天竜川沿いの道。
両サイドの山の雰囲気やこの緑の色や川の感じは間違いなく純度の高い信州。
もうそこに遠州の面影はうかがえない。



昼ご飯は、「道の駅南信州とよおかマルシェ」というところでとった。
おしゃれな名前に違わず、小綺麗な新しそうな建物だった。



ソースカツどんにそば。
折角なら信州らしいものを。


午後はこれまで以上に登り下る行程。
まず初めに今いる天竜川が流れる谷から、国道152号線が走る鹿塩川の流れる谷まで山を越える。

坂道ではgatさんに先行してもらう。
登りは彼の方が全然速い。
僕はと言えば、疲れるか疲れないかのぎりぎりのスピードで進む。
こうした方が、後々楽なのである。
わざわざペースを合わせる意味はない。
gatさんが変に気を遣わず先に行ってくれたのはありがたかったし、gatさんもまた、ツーリング慣れしているな、と思った。


県道22号線と呼ばれてるこの道はグネグネして細い、つまりとても良い道だった。

途中、大学生のサイクリング部っぽい人とすれ違った。
別に話したわけではけれど、多分そうだろうなと思う汚さだった。

大学を卒業するときに、僕が大学生でサイクリング部の夏合宿の時の写真を見る機会があって、その時のあまりの汚さに笑ってしまったことがあった。合宿から帰宅した時に母から「帰還兵みたい」と笑われた真っ黒に焼けた肌から、汗の饐えた臭いがしそうな汚い自分がそこには写っていた。
僕はもうあそこには戻れない。
そう思うと友達なんて一人もいない卒業式なんかよりもずっとずっと寂しかった。

すれ違った彼は良い”汚さ”だった。
gatさんも「汚かったですね」と笑っていたけれど、どう思ったのだろう。




国道152号線に合流し、さらに北に進む。
この道をまっすぐ進めば、今日の目的地の諏訪まで行ける。
合流したすぐは2車線だった道路はすぐに1車線となって、緩やかに登り始めた。


これは間違いなく夏。
ただ、湿度は高くなくカラッとしていた。
夏、このくらいでいいのに、と毎年のように思う。


緩やかに登りながらひたすら北へ向かった。
途中、gatさんのリアディレイラーの不調もあったけれどすぐに直る程度で、概ね順調に進めた。

国道152号線に合流した地点から分杭峠までは大体15㎞ほどで800mほどの登る。
つまり、勾配はあまりきつくはない。
飛ばしすぎず淡々とペースを刻めばつける峠だった。

僕は峠を登るとき、あとどれだけ登れば峠に着くか結構細かく見る。
今標高がいくつで、スタートからどのくらい登って、標高差はあと何mあるかなど、結構の頻度で確認して、自分が進んでいることを確認するのである。

ということをわざわざ書いたのはgatさんがそうではなかったからだ。
曰く「気が付いたら峠についてた、という方が良いです」と。

なるほど、そう言う意見も分かる。
けれど、やっぱり僕は進んでいるかを確認したくなってしまうし、そういう心配性で不安な気持ちにすぐなるのだな、と相対的に思った。

こういう違いを楽しむ事こそ、僕は複数人で旅をする最大の楽しさなのだろうと思う。
それと、「あと○○〇mで峠ですね」なんて安易に言うのは絶対にやめようと思った。


峠を登り続けると、季節が逆行するような緑がより明るく新芽の色になるのを感じた。

「信号が青になる」というように、その昔緑色と青色は未分化だったことは有名だけれど、その「みどり」という言葉は、室町時代では「木の若芽・木の芽」の意味だったということを最近知った。

2022年5月5日の分杭峠への道は、辺りの「みどり」が鮮やかな「みどり」で大変すがすがしい道だった。
  
  とき葉なる 松のみどりも 春くれば
            今ひとしほの 色まさりけり







分杭峠は標高1424mである。
ここまで登るとやはり高原感というか、上手く言えないのだけれど、その高度にしかない空気感というか、風というか、そういうものがあるように思う。
その感じがとても僕は好きだ。



風がそよぎ、みどりが揺れる。
遠くには、何の鳥か分からない囀りが聞こえる。
その中で、僕らは意味もなく構図を変えて何度もシャッターを切る。

峠というものに僕はどうしてこうも惹きつけられるのだろう。





分杭峠を越え北へ下ると長谷という町へとたどりつく。
ここは僕が小学生の頃、修学旅行で訪れた町である。

小学生の頃は、学校というシステムにうまく馴染めず、いい思い出というのは全くと言っていいほど無いのだけど、その数少ない一つを挙げるとしたら、修学旅行の中で「みんなでうどんを作りましょう」などという死ぬほどつまらない時間に、友達ともいえないような奴と一緒にこっそり抜け出して、あてもなくどこにたどり着くかも分からない山道を歩いたときの胸のすくような高揚感と幽かな不安を抱いた、あの瞬間だっただろうと思う。

その時から、こういうことをするのが好きな人生だったのだろう。
三つ子の魂百まで。
根っこというのは何も変わっていない。

そういえば長谷小学校の人たちと交流した記憶を思い出した。
いや、何をしたかなんて覚えていないけど。
彼等は今何をしているのだろう。
そんなことも、ふと思った。

ここにも泊まった記憶がある





長谷を抜けると本日最後の峠である杖突峠への登りになる。
杖突峠を越えてそのまま下れば諏訪湖。
ゴールまではあと少しである。
黄色を帯び始めた日差しを浴びながら、緩やかなアップダウンをくり返しながら標高を上げていく国道152号線を快調に飛ばした。


この辺りの町と里山の間感がとても好きだった。

長谷の辺りから杖突峠の標高差は約500mほど。
その距離を15㎞以上かけて登るので、勾配は最後を除いて緩やかだった。


杖突峠に着いたのは日差しが山陰に隠れる頃だった。

峠よりも諏訪側に峠の茶屋があり、そこからの景色が素晴らしいと聞いていたのだけれど、残念ながら立ち入り禁止。


それでも隙間から見える諏訪の町や町を挟んで向こう側のビーナスライン方面を望む景色は素晴らしく、なるほど人気な訳だ、と思った。


前述のとおり、ここを越えれば諏訪の市街地、つまり今日のゴールな訳だけれど、ここで前輪のタイヤがサイドカットして中のチューブが「\コンニチハ/」していることに気が付いた。人生で一位二位を争うほどゆっくり丁寧にビビりながら下ったことは言うまでもないことだろうと思う。


下りの途中の景色もまた、素晴らしかった。



この日のうちに帰る予定のgatさんとは下りきった時点でお別れ。
楽しい旅を本当にありがとうございました。
また、どこかで。


僕はと言えば、今日はゆっくり泊って次の日に帰る予定だったので晩御飯と温泉探し。
紅に染まる諏訪の町を一人。
「さあて、どこへ行こうかn…」

久々のパンク。
GP5000というタイヤはサイドがぺらぺらで逝くならそこからかな、と思っていたけれどまあ、そんな感じ。ちなみにそのあと買ったタイヤは大変好調なのでしっかり乗り込んでそれでもよかったら、記事にするかも。


余談はさておき。
お腹がすいたのでふらふらとカレー屋さんへ。


お腹いっぱいに食べられて、その上「飲まなきゃ悪いかな」などと考えずにいられるので、下戸の自分的には迷ったら入るのがカレー屋さんという存在である。

ナン二枚目はきつかったけれど、おいしかった。

この日は快活で就寝。




次の日は中央西線に揺られ名古屋はCirclesそしてCulture Clubへ。


大変充実した旅だった、と思って家に着いたのはもう夜遅くだった。




三遠南信。
初めてのエリアだったけれど、とても楽しめた。
今回走った旅路はこのエリアの表層、いわゆる有名どころであると思う。

それでこの充実感。

次はもっとディープな三遠南信を。
そう思ってしまうほどには魅力的な土地であると思った。

次は、どこへ行こうか。

おしまい。

走行距離:131㎞ 獲得標高:2760m





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