『紀伊半島横断サイクリング 2nd』 1日目 旧道矢ノ川峠・保色山

誘いは唐突だった。

イナさんから「尾鷲の周辺を走りますがいかがですか」、と。
送られてきたルートには旧道矢ノ川(やのこ)峠が入っていた。二つ返事で参加を告げてから、「これは面白そうだが、大変なライドになりそうだな」と思った。

今回のサイクリングの下敷きになっているのは、やくもさんの以下の記事に書かれているコース。


実際我々が走ったルートとは微妙に違っているのだけど、これに触発されたサイクリングであることに間違いはない。


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以下当日の話。

尾鷲に前泊し、朝一で国道42号線を上る。
天気は晴れ。気温は12月らしい寒さ。
陽の温みを吹き飛ばす冷たい風が吹いていた。


旧道に入ると舗装が消えた。
”本当の”スタートだ。

暫く走ると立派な開鑿記念碑があった。


熊野と尾鷲をつなぐ主要道であったこの道。
碑に刻まれた年は昭和15年、つまり1940年だ。

矢ノ川峠は明治時代に新たな熊野街道として改修が進むも、急峻な山々や雨の多い土地柄によりなかなか進まなかったという。昭和に造られたこの道も難工事で、5人が犠牲になった。この碑はその犠牲者慰霊のためだという。1965年に新道が造られその役目を終えた旧道。今はこの碑を見る人も少なくなっているのだろう。


旧道から新道を望む

2.1インチ vs 25c


旧道はトンネルが多い。

それだけ山が急峻である、ということでもあるし、あるいはそれを掘ってでもここに道を通したかったということでもあるのだろう。この辺りは、紀伊山地がそのまま海に突っ込んでいく平地のない地形だ。

以前、熊野から海岸線の県道を走ったことがある。その時は賀田を経由してから国道42号線に合流する道を走ったが、海沿いだと言うのに山ばかりで、海沿いの賀田からの登りはしんどかった記憶がある。


トンネル群はそれぞれに表情があってとてもよかった。
50年前には国鉄バスがガタゴトいいながらトンネルを駆け抜けていたと思うと、さらに心が躍るのは自分だけではないと思う。


矢ノ川隧道を抜けると三木里へつながる道に合流した。
やくもさんはおそらくこちらから登ったのだろう。

矢ノ川隧道を抜けた先で道はループして、矢ノ川隧道の上を走るような形でさらに高度を上げる。

隧道の上を巻くようにループしている

あまり見ない線形なので「おや?」と思って調べてみると、今まで我々が走ってきた昭和に作られたルートが、ここから明治時代に整備された旧道に合流するからなのだそうだ。


三木里を望む。
このあたりの地形は本当に険しいことを改めて思う。
Photo by イナさん

木々が「ザアザア」鳴りはじめる。
風が強くなってきた。
峠が近い。


矢ノ川峠に着いた。
眼前に広がるのは大展望。
見えているのは尾鷲方面だろうか。


峠には石碑があり、以前あった峠の茶屋を偲ばせる。

冬の日の
ぬくもり
やさし
茶屋のあと

やさしいぬくもりのない峠の風は冬のそれ。
峠に着いた達成感を噛みしめたり写真を撮ったりしていたが、やはり風は冷たい。体が冷めてしまう前に峠を下ろう。


峠は熊野側の方が酷い、というのは事前情報で知っていた。
大きな石がゴロゴロと転がり、道は締まっていない。落ち葉に隠れた鋭利な石が突然顔をのぞかせる。そして一定区間で現れる土砂崩れ。


やくもさんの記事には「下りはスピードが上がる分一瞬たりとも気が抜けない」と書いてあり、乗車していたことを窺わせるが、こちらはロードバイク乗りとへっぽこグラベル乗り。乗れる場所はほぼなく、押しと担ぎ。登りよりもずっと時間がかかった。
 
Photo by イナさん


Photo by イナさん

道中、大規模な切通があった。
「かつての林業用の道の残りらしいですよ」とはイナさんの談。



風の通り道になるようで、結構な強風が吹いていた。
重たいバイクを押して担いで火照った体が一気に冷える。


さらに進むと、橋がなくなっていた。
自転車を担ぎながら川床に迂回してさらに進む。イナさんのカーボンロードの重量が羨ましくなったのはこの辺りである。

Photo by イナさん


峠から3㎞ほど進むと、ようやくフラットダートになった。
ここぞとばかりに奇声を発しながら飛ばす。
ロードバイクのイナさんはいつの間にか後ろで見えなくなっていた。



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国道に復帰したのはお昼頃だった。
思っていたよりもずっと早いペース。
補給ができる場所はないことが分かっていたので、買い込んできたおにぎりを食べる。
相変わらず風は冷たいが、日差しはいくぶん暖かくなっていた。
ここからもうひと山越えなければならない。

国道をほんの数百メートル南下して保色山の南側を越える林道へ入る。
しばらく舗装だったが、それもいつしか消え未舗装路へ。


矢ノ川峠とは違い、かなり締まったダートでとても走りやすい。
ただし斜度はきつかった。


大又隧道を抜け、峠を越える。
標高は730m程度。なお、下りもフラットダート。
気持ちが良い。

峠からは少しだけ眺望があった


峠から7㎞ほど下ると池ノ宿洞門があった。
昭和13年(1938年)ごろに森林軌道用として完成し、昭和30年に一部拡巾されたそうで、途中から狭くなっているこの洞門。「荒々しい」という言葉では、その荒々しさの1割も伝えられないほどの壁面。あまりの圧迫感と心細さで、通り抜ける頃には5cmくらい背が縮んだかと思った。
夜に一人ここを通ろうとは、なかなか思えない。


千葉でも素掘りの隧道はいくつもあるが、この荒々しさはない。
紀伊半島の地盤のせいだろうか。

洞門を抜けると視界が開けた


舗装路に復帰するまで、もう少し。

洞門を抜けた先は落ち葉が酷くサイドカットが怖い。
落ち葉のゾーンを抜けたと思うと、今度は路面がやや粗くなった。
こういう時のための2.1タイヤ。気にせず突っ込む。
気が付くと林道の終点だった(ので写真はない)。

最後の最後まで楽しい道だったなと思っていると、イナさんが来ない。
どうしたと思って少し待つと、「パンク!」と言いながら自転車を押したイナさんが下りてきた。そりゃ25cのロードタイヤで走る場所ではない。

林道を抜けた先でパンク修理。
「あとちょっとだったのに」と悔しそう。
「あとちょっとだったから、実質林道でパンクしてない。つまりこの林道をロードで走り切ったと言っても過言ではない」とも。


でも、林道のパンクは林道のパンクだと思います、私は。
ロードバイクであの道を走ることはスゴイし自分にはできないけれど、それが最初だろうとあとちょっとだろうと、林道でのパンクは林道のパンクだと思います、私は(大事なことなので2回書いた)。



未舗装路を抜けたあとは舗装林道を走る。

台高山脈の断崖が楽しめるこの林道。
最後に彩りを加えてくれるかのよう。
遠くに見える大台ケ原は白かった。



国道425号線に接続する。
ようやく文明の香りを感じられる場所に出られた。

まだ辺りが明るいことに、嬉しいけれど拍子抜け。この辺りで日没を迎えるくらいは時間がかかると思っていた。実際、フロントライト×2+予備バッテリーにヘッドライトまで持ってきていた。イナさんは「そんな念入りに…!」と笑っていた。


国道425号線から169号線に乗り換え北上して、上北山の宿へ。
まだ明るい。よかったよかった。


この日お世話になったのは、小橡川の谷間に位置する民宿100年。
築100年は経っているであろう家屋に、1日1組しか泊まれないこの宿。


飾らないけど醸し出される雰囲気は抜群に良く、「田舎のおばあちゃん家に来たみたいにゆっくり寛いでいただきたい」という紹介の通り、ゆっくり過ごせる素晴らしい宿だった。大台ケ原も近い立地。機会があればまた泊まりたい。


なお、宿主さんは古道歩きが好きなようで、池ノ宿洞門のあったあたりは、かつて林業が盛んな頃にはそれなりに民家があったことを教えてくれたり、昔魚売りが越えてきた峠(古道)を探しながら歩いたことを話してくれた。


晩御飯もとても美味しかった。
本当に美味しかった。
このご飯を食べるためだけに泊まってもいいと思う。



疲れた体を布団にもぐりこませると、そのまま夢の世界だった。

つづく。



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