落車入院日記 2、救急車を呼ぶ

 
「うう、痛ぇ」


思わず呻いていた。
気が付くと、木に引っかかっていた。
上を向くと数メートル先にガードレールと、その奥にぼくの自転車が見えた。

どうやら僕はガードレールを飛び越え、山の斜面を落ち、木に引っかかったようだった。

「ようだった」と書いたけど、実はこの間の記憶が一切ない。正確に言うと、「ああもう無理だ」と諦念を感じ、ガードレールが目の前の迫ってきた瞬間から、木に引っかかっていることに気が付いたこの瞬間までの記憶がない。体には、記憶の無い擦り傷や痣がいくつかついていた。

こういう怪我をする人がときどき「スローモーション」のように感じたということ言うのを聞いたことがあるけど、僕の場合は全くの「無」だった。もっと言えば、木に引っかかってからどれくらいの時間が経っていたかも、分かっていなかった。

「いててて」
左側の背中とわき腹が痛む。
どうやら木に背中と脇腹を打ちつけたらしい。

僕が引っ掛かった木をよく見ると、その木は山の斜面から直角に出てそこから空に伸びていた。ほんとに椅子のような形をした木に運よく引っかかって座っていた。木の太さは10㎝いくかどうかというほど細い木だった。

今考えるとほんとに運が良かったと思う。

例えばこれが、立派な木だったとして、そこに背中を強打していたら、良くて車いす生活、悪けりゃお陀仏だっただろう。あるいはこれが、山の斜面じゃなくて、コンクリートの法面だったとしたら僕はぐしゃぐしゃになっていた可能性だって0じゃないだろう。そのことに気が付くのはもう少し先の話だが。

横を見ると僕のものではないキャメルバックのサイクルボトルがある。どうやらここは落車スポットらしい。そんなことを考えていた。

少し経つと痛みが引いてきたので、山の斜面を登りガードレールを超えて道路に戻った。改めて自分の体を確認すると、太ももに手のひらほどの大きさの擦り傷があり、痣も何か所かあり、ズボンも何か所か破けている。パンツはがっつり見えていた。恐る恐るろっ骨を触る。痛い箇所はない。どうやら骨折は免れたようだった。

自転車を見るとハンドルが曲がりフロントのブレーキはひしゃげていた。フロントのブレーキワイヤーはアウターワイヤーを引きちぎり外側に露出していた。もちろんインナーワイヤー自体も切れていた。フロントブレーキは使い物にならない。

ただ、幸いフレーム・ホイールには大きな問題はなかった。
近くの駅まで行って輪行して帰ろう、そう思った時だった。

「あ、携帯がない」

背中のポケットに入れていたが、ガードレールを飛び越えたときに勢いでどこかに飛んで行ってしまったらしい。焦りながら探した。山の斜面は落ち葉で滑りやすくしかもふかふかだった。何度も足を取られながら探すこと10分。「あった」僕が引っ掛かった木の数メートル下に落ちていた。

くどいようだが、ほんとに運が良かったと思う。
木の細さもそうだし、ここで携帯が見つかったことも。

そのあとは残っていたリアのブレーキを全力で握りながら下った。
それにしても痛い。
体を動かすと痛みが増してきた。
意識は朦朧としていた。

「あれ、こんな道あったっけ」

気が付くと道を間違えていた。痛みはどんどん強くなり引き返す気力もなくなっていた。神社が見える。あそこで休もう。痛みはひかない。

ここで助けを呼ぶという判断をした。もう自力で帰ることはできないほどになっていた。母親に「落車したから迎えに来てくれ」と電話をしたものの、少なくとも1時間はかかると言われ、気が遠くなった。この痛みを1時間耐えられる気がしなかったのだ。

救急車を呼ぼう、それしかないと思った。

それでも、少し躊躇した。
初めてということもあるし、そもそも僕は救急車を呼ぶのにふさわしい人間なのかということである。僕は問題なく話せるし自分で救急車を呼ぶことだってできる。痛みはあるけど、重傷者ではないだろう。僕が救急車を呼ぶ間に救える人が救えなくってしまったらどうしよう。そもそも僕は趣味で走って、一人で怪我をした。完全に自己責任である。そんな人間が救急車を呼んでもいいのだろうか。そう考えていた。

とは言うものの、痛みはどんどん増していた。
結局のところ、僕は一抹の申し訳なさを抱えながらも、痛みに負けて119の文字を押した。

「もしもし救急車の要請ですか?」
「はいそうです」
「今どこですか?」
「えーと」
「あなたの携帯のGPSから君津の○○神社だという情報を得たのですが、お間違い無いでしょうか」
「あ、そうです」
「では、救急車を手配します。6,7分で着くと思うのでお待ちください」
「わかりました」

日本の救急システムは優秀だと思った。
正直、今どこにいるか、正確に説明できた自信がない。
医療システムがしっかりしていてよかった、本気でそう思った。

時間通りに救急車は来た。

「救急車に乗れますか。」

若い男性の救命士が救急車から降りてきて神社の階段に腰かけている僕に言った。

「あ、歩けます。大丈夫です。」

そう答えながら、僕は人生初の救急車に乗った。
救急車の中に乗ると、けがをした状況、現在の症状を聴き、血圧・心拍など手際よく取っていく。

「では、○○病院に向かいます。親御さんにもそう伝えてください。」

そういうと救急車は走り出した。
救急車は外から見ているよりも全然速かった。交差点なんかガンガン行く。遠心力で持っていかれそうになったし、酔いそうにもなった。

隣にいる救命士が話しかけてくる。
「家から自転車で走ってきたの?遠くない?すごいね。よくこの辺り走ったりするの?」
正直、静かにしてほしいと思ってしまった。
痛みと車酔いでそんな矢継ぎ早に質問されても答えられない状態だったからだ。
早く病院つかないかな、と考えていた。


到着した病院は古びた薄汚い病院だった。
病院につくとすぐにレントゲンを撮った。
診察結果を持った医者が部屋に入ってきた。

「骨に異常はないですね。とりあえず痛み止めを出しときます。」

非常にあっさりしたもんだ。

迎えに来た父親が、保険とかなんとかで、警察の人と一緒に落車した所の現場検証をしなければいけないというので、もう一度鹿野山に行くことになった。車で落車した所に行った。

すっかりあたりは暗くなっていた。
「ここで落車しました。この木に引っ掛かりました。」
強面の警察官に僕は説明した。
「木に引っ掛かってよかったねー。この下、沢だよ。おサルさんたくさんいるし。」
へーそうなのか。で、なんでサル情報もらったんだ。サルって人肉を食うのか。なんて思っていた。

今思えば、木に引っかかってほんとに運がよかった(3回目

その下の沢まで落ちてしまっていたら、そこから道に復帰するのはかなり難しかっただろうと思う。そもそもそこまで落ちている時点で、もっと重症だっただろうし、自分で助けを呼べた可能性だってもっとずっと低いだろう。そのまま野垂れ死んでサルの餌になっていたって、おかしくはなかったのだ。この時はそんなことを考える余裕なんてなかったけど。

「この後は、警察のほうで検証しておきますんで、帰っていいですよ」

こちらもあっさりしたもんだ。
こうして、ケガ1日目は終わった。
もちろん、話はこんなにあっさりしたものではなかった。



つづく。

 




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