・29日
「おはようございます。体調はどうですか?」
毎日、こうして看護師さんが聞いてくる。
「だいぶよくなってきました。」ようやく腸が動き始めたのか、ゲップも減ってきた。
「それはよかった。うん、血圧も体温も大丈夫そうだね。」血圧計と体温計を見ながら、看護師さんが言う。
体調がよくなると暇である。
痛いときや辛いときはそれをやり過ごすだけで一日が過ぎるが、体調がよくなるとそれがない。いいことではあるが、暇であることに変わりはない。TwitterみてるかRadikoで深夜ラジオを聞きながら時間を過ごす。
この日変わったことは、隣の部屋に入院している人が変わったことくらい。
そしてその隣の部屋から異臭がする。看護師さんたち、その部屋はいる時ビニールのエプロンと手袋して、マスクまでしてるし。ほんとに臭い。
隣の人、どんな人なんだろうか。
この日の夜は、日付が変わるくらいに寝ることができた。
・30日
「おはよう。調子どう?」狸顔した医者が尋ねる。
「だいぶいいです。」
「そんな感じだね。顔色もいいし。それで、今後の予定なんだけど、明日CTを取ります。それで異常が無ければ退院です。」
「もし、異常があったら...?」
恐る恐る尋ねる。
「もう一回カテーテルだね。」
にわかに恐怖がよみがえる。
「その可能性は低いですか?」
「うん。低いと思うよ。前回しっかり詰めたし。」
その返答を聞いて安心する。もう一回、「スタートに戻る」は嫌だ。
その後は前日と変わらず。
隣は臭いし、暇である。
・10月1日
「おはようございます。今日は午前中にCTを取って大丈夫なら退院になります。」
看護師さんがいつものように血圧や体温を測りながら言う。
これが最後になるかもしれなのか。少し感傷的になる。
「ではCTの準備ができたので一階のCT室に言ってきてください。」
もうCTもすっかり慣れた。
内部被ばくだけが少し気にはなるが。
さっさと済ませて部屋で待機していると、狸顔の医者が部屋に入ってきた。
「Tomy君、おめでとう。CTの結果異常はないので退院です。」
ほんとによかった。
もう一回カテーテルとか言われたら冗談抜きに泣く。
「で、この個室に入れてあげたい患者さんがいるんだけど、何時ごろ親御さん来られる?」
なるほど、元気なった人間はさっさと出て行けってことね。
「連絡して聞いてみます。」
「うん、よろしく」そう言うと狸顔の医者は出て行った。
母親にラインすると昼前には迎えに行ける、とのことだった。
その旨を看護師に伝える。
「わかった。じゃあ高橋先生に伝えとくね。」と看護師。
狸顔、高橋っていうんだ。初めて知った。
「あ、あと、点滴いらないから抜いちゃうね。」
実に10日以上点滴を刺しっぱなしだったのである。
「今大学生だよね。楽しい?」
看護師さんが点滴をしていたところの止血をしながら聞いてくる。
「まあ、ぼちぼち楽しいです。」
「そうだよねー。楽しいよね。私、去年まで大学生だったの。」
どおりで若いわけだ。
「あ、そうなんですか。看護師は楽しいですか?」
興味本位で聞いてみる。
「うーん、楽しいけど、大変かな。」
「そうですよね。僕も入院してみて、看護師って想像以上に大変だなって思いました。」
「うん。でも、こうやってTomyさんみたいに元気になってくれると、やりがいを感じるというか、うれしいね。」
この答えを聞いたこの瞬間、僕は一生看護師に足を向けて寝ることはできないなと思った。
シンプルにすごいと思う。
僕には絶対に無理。
お世辞だったとしても、時間も事情も関係なしにナースコールで呼んできて、やれ「痛い」だの「気持ち悪いからどうにかしてくれ」だの散々言ってきた僕に、そうやって言えるのは、本当にすごいと思った。少なくとも僕には無理だ。
「あ、もう止血できたね。じゃあ親御さんが到着したらナースコールしてください。」
「わ、わかりました。」
昼前に、あわただしく母親が部屋に入ってきて、荷物をまとめる。ナースコールをすると、退院後の注意点がいくつか説明された。
「以上ですが、何かご質問はありますか。」
「大丈夫です。」
続いて狸顔の高橋先生が部屋に入ってくる。
「来月の頭にもう一回CTを取ります。それまでは安静にして、自転車には乗らないでください。」
「質問は何かありますか?」
「大丈夫です。」
「では退院です。」
本当にあっさりしたもんだった。
看護師さんに感謝の言葉を言う暇もなく、病院を後にした。
家に帰るとちょうど昼飯だった。
何の変哲もない、いつもどおりの母が作ったキャベツとベーコンのパスタだった。
そしてそれは、とてもとても、脂っこく塩気が強かった。
それで僕がどれだけの時間、病院にいたのかも分かった。
おしまい。
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――― あとがき
まず、ここまで読んでいただいた方、ありがとうございました。
僕自身、これを公開するか悩みました。
というのも、この僕はブログを、僕の面白いあるいは楽しかった記憶の備忘録として位置付けているからです。
今回の話は、楽しくも面白くもない記憶であり、しかも、部誌に投稿していたので備忘録もあったので、別に公開する意味は無いと言えば、無かったのです。
ただ、まあブログのPV見てると、記事を新たに公開してないにもかかわらず、ちょいちょい見ていただいているようだったので、このまま放置するのもなんだなと思ったのと、まあ、笑ってもらえればいいかなと思ったので、公開しました。思っていたよりもいろんな人に見ていただいているようで、公開した意味は少しはあったのかなと思います。
この落車からもだいぶ経っていますが、それでも、まだ下りは怖いです。
落車したところと似ている道があると、事故の時の記憶がフラッシュバックして体にグッと力が入ったことも一度や二度ではありません。正直、落車する前の感覚で下りを楽しめることは、もうなくなってしまいました。
転んで大けがしてからでは取り戻せないものがあるので、これを読んでいる人には落車して大きな怪我だけはして欲しくないな、と思っています。まあ、どの口が言ってんだって感じですが。
あと、僕がカメラをたすき掛けにしないのはこの落車が直接の原因です。この落車の時は背中側にはリュックしかなかったので問題はなかったのですが、一眼が体にぶっ刺さったかもしれないと考えると、ちょっと、いや、かなりゾッとします。
カメラのたすき掛けは個人の自由なので、僕がとやかく言うことではないですが、ちょっとでも「怖いなあ」と思っている人は、やめておいた方が良いんじゃないかな、とは思います。僕はめちゃくちゃビビりなのでフロントバッグ運用派です。
まあ、自爆で怪我をしたバカが何言ってんだと思いますが、サイクリングは安全第一です。マジで。
安全で楽しければ、言うことないんじゃないですかね。
個人的にはそういう感じです。
言いたいことは大体書き切ったので、この辺りで終わりにしようかと思います。
おしまい。
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