さむいな。
シュラフの中で思った。
八月の冷え込みじゃねえな。
川沿いに野宿していたからか、良く冷え込んでいた。
昨日の話はこちらから。
気温10.7度
寒すぎるんだよなあ
セコマで温かいものを食べてからこの日はスタート。
ルートはこんな感じ。
富良野を出発して、国道452号線、通称夕張国道を走り新夕張へ。
少し気になった場所があったので寄り道。
"この鉄橋は昭和20(1945)年、芦別で操業する三井鉱山が石炭運搬専用線の延長のために建設し、平成元(1989)年3月の廃線まで活躍していました。平成21(2009)年には、貴重な産業遺産として国の登録有形文化財に指定。令和元(2019)年5月に文化庁が選定する日本遺産に認定された「炭鉄港」ストーリーの一つでもあります。
橋の上には、懐かしいフォルムのディーゼル機関車DD501と、石炭専用貨車セキ3820を保存展示。その光景は往時の雰囲気が漂い、芦別が炭鉱で沸いた時代をほうふつさせます。(芦別市観光総合ガイドより)”
旅の一日にテーマを立てることは僕自身あまりしないけれど、この日のテーマを挙げるとしたら、それは「在りし日に思いを馳せる」
その後は、夕張国道を快走。
芦別までの道は多少の交通量はあったものの、そこから先の夕張国道は交通量はほぼ皆無。ひたすら気持ち良く走れた。
昼を前にして晴れた。
快晴の下、夕張国道を南下し、シューパロ湖に到着。
遠くに夕張岳を望む。
シューパロ湖と言えばこの、湖に沈んだ道。
そもそもこのシューパロ湖は夕張シューパロダムの建設によりできた湖。ここには最大二万人が住んでいた鹿島地区が沈んでいるらしい。展望台には小学校と中学校の平行記念碑があった。
以下、その景色を。
ふと、僕が通っていた幼稚園を思い出した。
今ではもう、コインパーキングになってしまった、僕の幼稚園。その幼稚園の園内の隅にいたお地蔵さんだけ残っているのを見つけた、その時の気持ち。うまく言えないけど、少し寂しい気持ちになった。
最後に遠景を。
シューパロ湖、いいところでした。
その後も夕張国道を走り、清水沢へ。
時刻は2時を回っていたので、既に腹ペコ。
やっている旧清水沢駅前にお寿司屋さんがあったのでピットイン。
頼んだのは天丼。
好きなんだよなあ。
この衣がこういう感じになっている天ぷら好きだし、タレも大好きな感じでした。
そんな感じで天丼を堪能していると、大将に
「こっち来てから夕張メロン食べた?」と聞かれた。
まだ食べてなかったので、そう答えると
「ちょっと待ってろ」と。
で、ちょっと待ってると、、、
ああああ!!見るからにうまいやつ!!!!!
びっくりするくらい美味しかったです。
ごちそうさまでした。
この日の予定は、新夕張の道の駅で野宿する予定。
その途中に銭湯があったので入って行こうかとも思ったけど、まだ時間外だったので一旦道の駅へ。
で、道の駅で買ったのがこれ。
「さっきメロン食べたしなぁ、これ一人じゃ絶対多いしなぁ、真ん中のホイップ重そうだなぁ、でも限定だし、メロンパン好きだしなぁ」ってこれの売り場の前を3往復ぐらいして買いました。
正統派のメロンパンにホイップで美味しかったんですが、冷静に考えて一人で食べるものじゃないな、これ
— Tomy (@Tomy_viajar) August 22, 2020
感想は↑です。
後悔はしてない。してないけど。
暑かったのでついでにアイス。
やっぱり夏だなあ。
道の駅でゆっくりした後は、共同浴場へ。
いたって普通の共同浴場でした。
あと、「そこ飛んでるヘリコプター、ここ数日この辺りに出てる熊探してるやつだから、野宿するなら気を付けなよ」との、ありがたい助言をいただけました。こええええ。
道の駅の近くへ戻って、晩御飯。
店主さんが気さくな方でいろいろ話をしてくれた。
夕張のこと。
人口のこと。
メロン農家は儲からないこと。
炭鉱爆発のこと。
大きい病院はここから遠いこと。コロナの影響のこと。
田舎に住むということ。
地域のコミュニティのこと。
本当に色んな事を話した。
旅でこういう話を聞くのが結構好きだったりする。そのお返しと言ってはささやかだけど、自分の旅を少しした。こういう時間が好き。
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