『国道429号線をちょっとトレースするライド』 福知山~播磨新宮

僕はあまり「酷道」という呼び方が好きではない。

いや、厳密に言うと「酷道」と呼ぶことで、その道を走破したことをことさらに強調する態度がどうにも好きになれないのである。「酷道」と呼ばれる道は、それだけで素晴らしいし、そこを走るならば、その道の素晴らしさを称揚すべきである、と個人的には思っている。だから、そういう文脈で使われる分には気にならない。「酷道」に走破した人の自慢は要らない。特に自転車ならば。

最近、国道429号線を走った。
岡山県倉敷市から京都府福知山市を走るR429も一部狭路が残り、「酷道」などと呼ばれる。そして例に漏れず素晴らしい道だった。
今回走ったのは全線通じてではなく、ほんの一部分だけなのだけれど、それでも素晴らしい道だったので、こうして記事にして書き留めておこうと思う。
以下ルート予定。


と、ルート予定を挙げたのだけれど、今回は高野峠以西は走っていない。
のでR429は80㎞ほどと大した距離を走っていない。

それでもってR429を語るなと言われそうだし、自分でも「それはもっともだ」と思うのだけれど、短い区間でもR429が素晴らしかったということを書くために、こういう書き方にしている。残りの区間も近々行くつもりなので、温かい目で見て欲しい。


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スタートは京都府福知山駅。
R429は福知山が端(終点)になっている。

R178から逸れて少し進めば、長閑な風景が広がり始める。




「大型車通行不能」という看板がやけに目につくが、そうでもしないと大型車が迷い込んできてしまうのだろうと思われるほど快適な快走路が続く。狭路になったのは榎峠にかなり近づいてからだった。


さっきまでの快走路とは打って変わって狭路。
一般的な国道から考えれば確かに狭い。
とはいえ、腐ってもここは国道。
正直なところ、林道なんかから比べれば十分快適な1車線道路である。


斜度は緩やか。
路面の舗装も整っている。
淡々と登るにはちょうど良い素晴らしい峠である。
たしか峠で行き会った車は1台か2台だった。
素晴らしい。


ほどなくして榎峠についた。
標高260mほどの小ぶりな峠である。
写真の通り、ここは兵庫県との県境でもある。


県境峠は、何故かちょっとだけ嬉しい。それが達成感からくるものなのか、峠と境界が一致していることに対する気持ち良さなのか分からないけれど、なんか嬉しい。

とはいえ、令制国で考えれば福知山市も丹波市も同じ丹波国。実際に峠を下って青垣の集落に出て見ても「同じ文化圏だなあ」と思った。


青垣の町は「懐かしい」風景が広がる。
別にこのような場所で生まれたわけでも育ったわけでもないし、なんなら生まれ育った家の近くに田んぼも無かったけれど、、何故だか「懐かしい」と感じる。きっと遺伝子レベルで組み込まれたのであろう「懐かしい」感情が湧きあがってくる、不思議だけど、とても良い場所だと思った。




2車線の快走路をしばらく走ると青垣峠の登りが始まった。
青垣峠はいわゆる片峠である。青垣町側(東側)は急峻だが、生野町側(西側)は緩やか。つまり今回は急な方を登る。終盤は斜度20%に迫る区間もあり歯応えのある峠だった。とはいえ標高は550m弱。急峻な区間は短く、のんびり上っていれば(急峻で一気に駆け上がることも手伝って)、あっという間に峠だった。



青垣峠


前述の通り青垣峠は片峠。
峠を越えても緩やかな山間の景色が続く。
しばらく進むと銀山湖が見えてきた。


ここは生野銀山である。
日本史の授業で佐渡相川・石見大森と並んで覚えさせられる近世きっての鉱山、という程度の文字列だけの知識しかなかったけど、なるほどここにあるのか、と思った。知ってどうこうするわけではないけれど、知っていた方が楽しいことはいっぱいあると思う。もし、生野銀山という名前を知らなければ「へーそんな銀山あるんだ」で終わってしまって、歴史の繋がりなんて気が付かないだろう。なんなら、そもそも銀山であったことすら気が付かないかもしれない。

今日日、掌に収まる薄型機械に聞けば大抵のことが分かるけれど、「知っている」から聞けることもたくさんあるんだと思う。



さらに下ると情緒あふれる生野の町並みが見えてくる。
今回はR429を走るために来ていたのでスルーしてしまったけれど、次訪れることがあるのであれば、もう少し時間的余裕をもってゆっくりしていきたいな、と思う街並みだった(スルーしたことを割と後悔している)。

生野を過ぎるとR312と重複する区間に入り「お! やっぱ国道だ! 交通量が多い!」なんてなりながら北上した。

そんなこんなでお昼時。
「道の駅朝来」で昼休憩。


鹿丼。
ちょっと割高でも、鹿肉があったら積極的に食べるようにしている。栄養価とかそういうのよりも、「珍しいし害獣駆除になるんなら食っとくか」という感情の方が近い(とある峠のブラインドカーブ曲がったらすぐそこに鹿がいて死ぬほど怖い思いをしたからとかでは決してない)。

実際問題として、甘辛に味付けされたこの鹿丼は、正直ブタ肉でも気が付かなかったと思う。


これは道の駅で買っためっちゃ可愛いピンバッチ。
オオサンショウウオが住むということは、そういう環境が整っているのだろうな、と思うし「たしかにそういう川だったな」と思った。

それはさておき、この可愛いピンバッチどこに付けよう…。


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腹ごしらえが終わりリスタートすると、道は再び上りに転じた。
R312と別れてから西へ。
再び交通量がぐっと減ったR429を走る。
ここからは明延鉱山の影響が色濃く見えてきた。



これは神子畑鋳鉄橋。

 神子畑鋳鉄橋は日本に現存する鉄橋としては三番目に古いとされるが、一番目の大阪の心斎橋(明治6年)は錬鉄製であり、二番目の東京の弾正橋(明治11年)は錬鋳混用である。したがって本鋳鉄橋は全鋳鉄製の橋としては日本最古の橋となる。
 特に、木橋、石橋から煉瓦へ、さらに鋳鉄、錬鉄、鋼鉄へと発展してきた材質からみた日本橋梁史の流れのなかで神子畑鋳鉄橋は、その過渡期的なものであり鋳鉄橋発展史上最終段階のものとしての意味からも歴史的に価値があり、力学的な美しさを持った大変貴重な文化財としての橋そのものである。(朝来市HPより)

「錬鉄」と「鋳鉄」は炭素量の違いのよう。
正直、素材の変遷の話とその建築史的な重要性は自分には全くわからないが、明治期の日本を感じることのできるという点においては、足を止めて見てみるのもいいもんだなと思った。素材は分からずとも、そこに時代を超えた重みがあることは分かる。

さらに進むと神子畑選鉱所が見えてくる。


神子畑選鉱場は明延鉱山の選鉱施設として建設され、その規模・産出量ともに東洋一と呼ばれた時代もあったそう。


独特な形をした建造物が立ち並ぶ。
浮遊選鉱所といえばおそらく佐渡の北沢浮遊選鉱所跡が有名。
しかし、ここもなかなかどうして。


おおきくてよくわからわないたてもの、なんだかわくわくする。
そういうのは、小学生から変わらない。


隣には洒落た洋館の事務舎があった。
すっかり全景を撮るのを忘れてしまったのだけど、もともとは生野銀山に立てられた外国人技師の官舎だったよう。

近代産業遺産、らしい。


明治初期の特徴を有した和洋折衷の建物のようだけど、説明書きを読まなければなんのこっちゃ全く分からない。でも、旅先でこういう看板を読んで「ほーん」って思ってちょっと賢くなった気分に浸るのも悪くない。実際に訪れなければ一生触れないことって相当多いのだろうな、と最近出先でよく思う。

神子畑選鉱所も事務舎も冗長になるのでいちいち説明はしないけれど、興味がある人は看板の写真を読むなり現地に足を運ぶなりするとよいかもしれない。




神子畑選鉱所の模型。
こういうのもワクワクする。





神子畑選鉱所を過ぎると峠道の様相が強くなる。
斜度が上がるだけでなく、その道の雰囲気というかそういうのが変わった気がした。




峠は笠杉トンネルで超える。
越えてそのまま下れば、中国山地でよく見る町。
こういう景色が見たくてこの日はこのルートなのでにっこり。


で、ここからR429をトレースするなら、さらに西にある高野峠へ行くのだけれど、思ったより雲が広がるのが早かったのと、リアが微妙なスローパンクをしていたのと、ちょいと疲れていたので、冒頭にも書いた通り、ここからはR429に別れを告げて揖保川沿いに南下することに。



このザ・中国山地な写真の土地の名前は一宮町。
そう、播磨国の一宮がある。


それがこの伊和神社。




御由緒のあらましにはオオナムチの名前。

別名に出てくるオオクニヌシのほうが有名かもしれない。知っている人も多いだろうけど、オオクニヌシは出雲を代表する有名な神の名前であって、現在も出雲大社に祀られている。系譜上はスサノオの子孫にあたる神。実は、大和政権が作り出した神格という見方もあるとかなんとか。実際、出雲の風土記にはオオクニヌシという名前は出てこず、基本的にはオオナムチと書かれているという話があって、もともとはオオナムチだったのでは……というのは大学の講義で聞いた話。播磨風土記ではどうなのだろう(この由緒の書き方だとオオナムチが主流っぽい気も…?)




伊和神社は、「一宮」という割には人が少なく割とゆっくりできる場所だった。
神社の前に道の駅もあって、休憩がてら寄るのも良き。
気温はもう30℃近く。
6月の蒸し暑い気候&暑さに慣れてない体だと、こうして休み休みして走らないと命の危険が危ない。



神社でゆっくりした後も揖保川をひたすら下る。



与位の洞門
揖保川の右岸にある洞門。というより隧道。素掘りのトンネルが房総っぽさを思い起こさせるけれど、房総のそれとはなんだかちょっと違うような。よく考えたら房総の素掘り隧道、こんな明るくて開放的じゃないしな。


与位の洞門付近は「下乢(しもほき)の奇岩」と呼ばれる絶壁だったらしい。「ほき」という地名は崖を表わすことが多いけれど、おそらくここもそういうことだったのだろうなと思った。

中国山地では「峠」を「乢」と書く(例えばR429の鳥ヶ乢など)こともあるので、一瞬そっちからかもしれないとも思ったけれど、地名に関しては「音」を優先した方が良いし、地形から考えてもこの場合は普通に崖地名と考えたほうがやっぱりよさそう。


与位の洞門を後にしても揖保川を征く。
川沿いを下るにつれ天気は好転。
何もない。けれど、そう言う景色が本当に素晴らしい。


川幅がちょっとずつ広くなる。
好い景色だ。


何処まで行こうか悩んだけれど、交通量が増えてきたので播磨新宮駅でこの日はおしまい。
電車を乗り継いで帰路についた。


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繰り返すけどR429は良い道だったし、自分はこの辺のエリアが好きなんだなあ、と改めて思った。スローパンクとかで思った通り走れなかったのは残念だけれど、そのおかげで伊和神社にも寄れたことだし、これはこれであり。残した後半部分は、可及的速やかに走りに行きたいところ。そのぐらい魅力的な場所だったし、この記事にその魅力が少しでも残せておけたのであれば、それで十分。さあ、いついこうかしら。

おしまい。

実際走ったコース
走行距離:116㎞ 獲得標高:1182m











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