起きた時には、テントのなかには明るい光が差し込んでいた。
ここは佐渡の北の先っぽにほど近いキャンプ場。
キャンツーの良さはこういうところにある。
良くも悪くも、「朝」を強烈に感じられる。
宿に泊まっては、こうはいかない。
料理する者同士でパパっと朝飯を作ってパパっと撤収。
キャンツーの経験値は設営・料理・撤収に出る。
この辺の時間のかかり方が同じくらいの人とキャンツーするから楽しいのである。
さて、この日のルートは以下の通り。
大佐渡の残りをぐるりと回ってから小佐渡を突き抜けて小木港へ。
今日が佐渡旅最終日。楽しいことを願いつつ。
この日もとても良い青空だった。
ダイナミックな景色と言われる大佐渡。
とはいえ、先端部を回ってしまうと、湾内に入るからか小佐渡にも似た緩やかな景色に変わった。
ここ数日で見慣れた景色が続く。
「何にもない」かもしれないけれど、とても美しい景色だと思う。
さっきまで遠くに見えていたはずの小佐渡の影が、だんだんと大きくなる。
気が付けば、初日に上陸した両津港だった。
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両津港のほど近く、若宮八幡神社はちょうどお祭りをやっていた。
訪れたこの日は5月5日。
「湊祭」と呼ばれる祭らしい。
港町らしく、大漁旗がたくさんはためく活気あるお祭りのようだった。
お祭りに自転車は邪魔でしかない。
キャンツー装備の自転車ならなおさら。
ちょっと見ていきたいという気持ちはあったけれど、今回は写真を数枚とってその場を立ち去ることにした。
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お祭りを横目に県道65号線を走り、佐渡の「くびれ」を西へ西へ。
この辺りは交通量も多く、道幅も狭めなので写真はない。
写真はすなわち旅の記録であり記憶である。
楽しくない記憶になど、割くメモリーはない。
県道81号線はほぼ一車線の狭路だった。
斜度は10%を超えるところも少なくなく、厳しさはそれなり。
お互いがフロントトリプル。
のんびり走る。
それにしても木々の明るさが素晴らしい。
海岸線ばかりを追っていた眼球に、5月の緑が眩しく突き刺さる。
植林ばかりの杉林ではこうはいかない。
5月。やはりこうでなくては。
交通量は極少。
行き会った車及びバイクは片手で数えられるほどだった。自転車はいなかった。
峠を越え、気持ち良く下り山を抜けると強烈な向かい風と共に集落に出た。
踏めども踏めどもスピードはでない。
フロントパニア×向かい風とは、そう言うことである。
どうせ向かい風。
急いだとて高が知れている。
どう見ても人がひっきりなしに来るような場所ではなかったけれど、このドーナツ屋さんは人気があるのか、ひっきりなしにお客さんが来ていた。
海岸線に出てもなお向かい風。
先頭は入れ替わりながら。
小木についたのは14時を過ぎていた。
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さすがに腹ペコ。
小木はそれなりの町なので飲食店はいくつかある。
折角最終日なのだからと、海鮮をたべることにして入ったお店は、一階が魚屋で二階が食堂というお店だった。こういうお店は、とても好き。
二階で注文するのかと、上へあがると
「あーごめんごめん。下で注文してきて」と。
どうやら魚屋で注文するタイプのようである。
「何かオススメありますか」
一階にいた大将に聞いてみる。
「何でもうめえよ。今日だったら……」
港町らしい小気味よい声を聴きながら注文を考える。
こういう時間こそが、旅だと思う。
いろいろ悩んで、煮付け。
旨かった。うん。
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さて、もうあとはフェリーで新潟は直江津港へ行くだけなのだけど、フェリー出港の時間まで多少あったので宿根木の町を散策することに。
宿根木は、「小木の町人文化」形成に先駆けて、中世の頃より廻船業を営む者が居住し、宿根木浦は、佐渡の富の三分の一を集めたと言われるほど栄えた。やがて小木港が江戸幕府によって整備され、商業の中心が小木港へ移行すると、宿根木の者は、船主が先頭となり十数人の船乗りと共に、全国各地へ乗り出して商いを続けた。村には船大工をはじめ造船技術者が居住し、一村が千石船産業の基地として整備され繁栄した。
その時代の集落形態が今日見られる宿根木の町並みである。村を流れる称光寺川と平行し、数本の小路が海へ向かい、それに面して家屋が肩を寄せ合い建っている。約1ヘクタールの土地に110棟の建造物を配置する高密度である。建物の外壁に船板や船釘を使ったものもあり、千石船の面影をしのべる。宿根木集落の特徴は、家屋の密集性にある。
宿根木公式HPより
民家が公開されていたので、中へ。
さらに一段と、辺りが静謐に満たされる。
フラフラと町を歩いていると
「ドンッドンッ」という腹に響く音が聞こえてきた。
太鼓だ。
その音に導かれるようにふらふら歩いていくと、和太鼓を叩く集団がいた。
そもそもこの太鼓集団は誰なのか、そして何のためなのか全く分からない。
けれど、なんだか見ていきたくなる不思議な引力があった。
気が付けばワラワラと周りから人が集まって、彼らを囲んでいた。
けれど、良いものが見られたと思う。
この人たちがどんな人たちであろうと、それはあくまで「情報」でしかない。それをいまさら知りたいなどとも思わない。現地で見たあの時間が「良い時間」なのであれば、もうそれが全てだと思った。
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宿根木を後にして小木港へ戻る。
もうすぐフェリーの時間。
寂しさもあり、満足感もあり。
僕らがフェリーターミナルにつくころには、小木港は乗船待ちの人で長蛇の列ができていた。「ああGWだったな」と久々に思い出した。
直江津港についたのはとっぷり日が暮れてからだった。
温泉で汗を流し、適当な場所で野宿。
この日は能登半島の地震があった日。
緊急地震速報にビビって全然寝られなかったのだけど、それはまた別のお話。
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翌朝、始発で京都へ帰った。
直江津だから、上越妙高まで出て新幹線と特急で帰れば早く帰れるはずなのに、鈍行で帰った。そういう気分だった。そういう気分になれたことが良かったと、心の底から思う。
佐渡に着いた瞬間、「やはり新潟だ」と思ったことは前の前の記事に書いた。けれど、やっぱり佐渡は離島である。時間の流れ方が全く違う。そう気が付いたのは福井駅を過ぎたあたりだった。そう気が付くと、また離島へ行きたくなる。
さて、最後にこの旅の同行者gatさんに一言。
ブログあげるの遅くなってすみません。
料理できる人どうしでキャンツー行くのこんなに楽しいって初めて知りました。また、どこかで。
おしまい!
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