起きた。天井は一面の緑。そうだ、テントの中だったんだ。
サイクリストの朝は早い。時刻は6時前。
ここは道の駅。撤収早いに限る。ということで、さっさとテントを片付ける。(途中で蚊にたかられて、足ボコボコにされた)
昨日に道の駅で買っておいたパンを朝ごはんに食べてから、2日目スタート。
一日目はこちらからどうぞ
この日の天気予報は雨。できれば降られたくないな~なんて思いながら、いまにも降り出しそうな曇天の下、進路は北へ。
最初の目的地は妙成寺。妙成寺とは
妙成寺(みょうじょうじ)は、石川県羽咋市にある日蓮宗の寺院。山号は金栄山(きんえいざん)。日蓮の孫弟子に当たる日像が開祖。日蓮宗の北陸本山で、能登随一の大伽藍をもつ。本堂、五重塔、祖師堂、経堂など10が国の重要文化財に指定されている。塔頭が五寺ある(玉寿寺、善住寺、大鏡寺、円融寺、本覚寺)。wikipediaより
さあ、行ってみよー!と思っていたんだけど、到着してびっくり。まだ開いてない。そりゃそうか、時刻はまだ7時前。待つほど見たい物でもなかったのでここはスルー。次来るときは空いてる時間に来よう。この辺りは、下調べしてない弊害かもね。でも、やっぱり調べすぎは嫌なんだ。
曇天の中を快走。まだ、雨は降り出してない。
さくっと次の目的地、旧福浦灯台に到着。
旧福浦灯台とは
日和山と呼ばれる断崖の上にある、日本で最も古いとされる木造灯台です。1608(慶長13)年、福浦の日野資信(すけのぶ)がこの地で篝火(かがりび)をたき、夜の暗い海を航行する舟を導いたことが「灯台」の始まりといわれています。現在の灯台は、1876(明治9)年にかつての形状を残したまま建造され、新灯台が設置されるまでの76年にわたり、沖を行く舟にその位置を知らせてきました。(ほっと石川旅ねっとより)
これを読んでいるだけで行きたくなりますよね。だって1608年ですよ。関ケ原の戦いが1600年ですからね。ロマンを感じませんか、感じますよね。その上、日本で本で最も古い木造灯台ですよ。行きますよね。てな感じで行ってきました。
こんな感じの細い路地を抜け
到着。
ほんとにこじんまりとした灯台。
石碑の左にある岩倉右大臣というのはきっと岩倉具視のことだろう。
看板によると北前船で栄えていたそうだ。
「北前船」懐かしい単語だ。大学受験の時に覚えた単語。こんなところで繋がるとは思わなかった。でも、勉強していたものがこうして実際の生活と繋がった瞬間というのは、ほんとにおもしろいと思う。
「日本史なんて勉強したって無駄」とかいう人がいる。でも、間違いなく僕にとっては無駄ではなかった。現にこうして日本史の知識が旅を楽しむ一助になっている。大学受験の時に「お前にその大学は無理だよ」と言われたのが悔しくって勉強した2年前の僕、君の勉強は無駄になってないよ。ありがとう。
何だか、話が明後日の方向に逸れ出してるので、先に進もう(物理的
次の目的地は義経の船隠し、のはずだったんだけど巌門という看板が見えた瞬間そっちの方に進路変更していた。
巌門っていう名前に記憶があった。確か、グーグルマップに書いてあった気がする。どんなところなんだろう。門があるんだろうか。全然知らないけど興味が湧いてきたから行ってみよー!
旧福浦灯台からはすぐ近く。サクッと到着。
なるほど、この階段を下りていけばいいのね。
最近、旅の途中で歩きを入れることが増えて来た。前まではひたすら走っていたけれど、歩きを入れるというのも悪くないな。自転車に乗っているだけでは見ることが出来ない景色を見ることが出来る。
巌門って何かの門ってわけではなくて、海岸景勝地の一つの名前だったのね。安藤広重、この人も日本史でやったなあ。習ったときは歌川広重という名前だったけど。
散策路があったので辿ってみることに。
洞窟!洞窟!
結構天井が低くってびっくりした。それにしても不思議な形をしている。日本海側は奇岩みたいなものが多いように思うけど、ここもその一つ。いつも思うけど、なんでこんな形になったんだろうか。
旧福浦灯台のところから出港していた船を発見。どうやら遊覧船が出ているらしい。今回は時間がなかったのでスルー。
一周して戻ってきた。それにしても閑散としすぎてないか?人間はおろか猫の子一匹いやしない。
スピーカーから大音量で流れる今流行りのJ-POPと、今にも降り出しそうな雨雲がさらに寂しさを掻き立てている。いいところなんだけどなあ。
再スタート。
世界一長いベンチなるところにも寄ってみた。確かに長い。
こうしたモニュメントがベンチの至る所にある。
どうやら、夜にライトアップされ、恋人とイチャイチャするような場所らしい。いい子のみんなは一人で来ちゃだめだぞ!お兄さんとの約束だからな!!
ということで心がやられてしまう前にサッサと退散。先を急ぐ。
こんな感じの道を抜けていく。
途中に日本の棚田100選の一つがあるという看板が見えたので寄り道。
大笹波水田というらしい。綺麗に棚になっている。
こんな感じで寄り道ばっかりしているといつの間に義経の船隠しに到着。
少し歩いたところにあるらしいので、自転車を置いて、てくてく歩く。
本当に船が隠せそうな切れ目。源義経がここで追手から隠れられたのも頷ける地形。本当に隠れたかどうかは置いておいて、そういう伝説が残るっていう方が大事なんだと思う。
もう少し海の方まで歩けそうだったので、さらに進む。
ごつごつしている。ものすごい迫力。何だか、刑事さんに追い詰められて、泣きながら自白してそうな風景。
しばし、ぼーっと見とれて再出発。
次なる目的地はヤセの断崖。と、言ってもすぐ近く。数百メートルしか離れていない。
なんでも、松本清張の作品にも登場したところなんだとか。
ヤセの断崖の名前の由来は、作物が育たないほどやせた土地だからとか、先端に立って海を望むと身がやせる思いがするから、とからしい。
ただ、その先端に立つと、安全柵があって海がのぞき込めないようになっていて(当たり前か)、身がやせるような思いはしなかった。ちょっと残念。
つぎなる目的地は琴ヶ浜。別名泣き砂の浜。どういう意味なのか知らないけど行ってみよー!(今回マジで下調べ全然してなかったな)
正直、下調べをしても出てこない情報というのはたくさんある。行ってみないと分からない情報。道を走っているといたるところに観光スポットの看板がある。だけど、軽く調べた程度じゃ出てこなかったものばかりだ。こういうのを見つけていくのが楽しい。
今回めちゃくちゃ寄り道ばっかりしていると思われるかもしれないけど、実際は、時間的・場所的制約で泣く泣くスルーしたところも結構ある。でもこういう心残りがあることで、また来ようと思える。
そんなことを考えていると、ここも近いのですぐに到着。
看板によると、歩いた時に「キュッ、キュッ」という泣くような音がするらしい。ご丁寧に鳴らし方まで書いてあった。
よし、鳴らしてやろうと意気込んで、看板に書いてあった通りにやってみる。が、しかし。
鳴らねえぞ。
やり方が悪かったのかと何回か試行錯誤してもダメ。場所が悪かったのかと、移動してみてもダメ。日頃の精進が足りないせいかと思ったんだけど、実は鳴るところと鳴らないところがあるらしく、僕が鳴らそうと頑張っていたところは鳴らないところだったらしい。
結局、一度も鳴らすことが出来ず、靴の中が砂だらけになっただけで終了。とほほ。
さて、傷心気味だけれども前に進む。
ちょうど昼時だったので、道の駅赤神に入る。注文したのはフグのから揚げ定食。知らなかったんだけど、この辺りはフグが有名らしい。
いただきまーす。
フグのから揚げのお味はというと、うまい!
サクサクの衣の中にほくほくのフグの身。ペロリと食べ終わってしまった。美味美味。
お腹が満たされたところで再出発。
そう。そしてまだこの時点でも、雨が降っていないという奇跡。ただ、右手の山にはどんよりとした重たい雲が垂れ込めているので、油断はできない。
海沿いを走っていると、なんだか「黒島天領」という看板が目についた。「天領」って日本史に出てきた気がするけど、なんだったっけ。とりあえず行ってみよう。
看板に書いてある説明を読んで思い出した。天領は江戸幕府の直轄地のことだ。
それにしても家の作りが独特なように感じる。同じ日本海側の地域でも、春に行った山口県では弁柄色の瓦だったし、この間行った佐渡ともちょっと違うように感じる。
外壁に使われているのは何だろうか。黒くなっているのは塗料なのか、それとも焼杉みたいなものなんだろうか。単純に経年変化何だろうか。気になる。(だれか詳しい人いたら教えてください)
こういう切り口で旅をするのもまた面白いんだろうな、きっと。
さて、この辺りまでいいペースで進んでいたんだけれども、だんだんと向かい風になってきたことに加え、昨日よく寝られなかったせいか、どっと疲れが押し寄せて来た。しかも、ここまでずっとほぼ平坦だったのだけれども、アップダウンが激しくなるという苦しみが。
ここから国道と別れて、細い県道に入る。この県道がすごくって、人の通った気配が全くない。道の上には落ち葉と木の実と動物のフンが散乱していて、道のわきでは時々ガサガサなっている。その上、木が上を覆っているので薄暗い。能登半島って熊出るんだっけ、と本気で心配になるほど雰囲気が悪い。
こういう道はさっさと抜けたいんだけど、体が何だかだるくってなかなかペースが上がらない。それでも何とか無事に森を抜け、海が見えた時はものすごくホッとした。
この後も、前半戦とは打って変わって、登っては下る、登っては下るの繰り返し。正直体がしんどいし、思いっきり向かい風で全然進まないけど、ペダルを回すしかない。ここは無心になってペダリングに専念。
こんな天気だから涼しくなると思ってたけど、めちゃくちゃ蒸し暑い。湿度が高く、まとわりつくような暑さがずっと残っていて不快。そして容赦なく体力を奪っていく。
これで、風をよけているんだろうか。
登っては、
下るの繰り返し。はあ、しんど。
そしてまた登る。はあ。
もう正直へとへとになっていた。やっとの思いでテントを立て、パニアバッグ1つをテントの中に放り込んで、いったん休憩。助かったのは雨が一度も降らなかったこと。これで雨が降っていたら、と考えると正直恐ろしい。しかも、能登半島の先は電車が通っていない。つまり、エスケープができない。これから能登に行く人は注意されたし。
それにしても風が強い。海に面したキャンプ場だから仕方ないのかもしれないが、テントの中が今のままの量の荷物じゃあ、飛んで行ってしまいそうだ。適当に荷物をテントの中に追加で入れて、飛ばないようにして、輪島の市街地の方へ散策。
まずは道の駅に行って晩御飯についてオススメを聞いてみる。いくつか教えてもらった後はこの道の駅自体を散策。
ここはもともと、鉄道の通る本当の駅だったそう。廃線になったので道の駅として利用しているらしい。
そのあとも、街中を散策。
教えてもらった定食屋さんに入り晩御飯を食べた後は、銭湯へ。昔ながらの銭湯でゆっくりと疲れをとる。
もうそのあとはテントに戻り寝るだけ。
最初はこう思ってたんだけど、途中から風がさらに強くなって、テントが揺れているのが体に伝わるようになってきた。しかもテントの側面が頭にバタバタぶつかってきてとてもじゃないけど寝られない。
持ってきている荷物全てテントの中に入れて四隅に配置。ようやく、寝床が整った。この強風のおかげか、気温がぐっと下がってきた。今日はよく寝られそうだ。
実際走ったコース
続く。
サイクリストの朝は早い。時刻は6時前。
ここは道の駅。撤収早いに限る。ということで、さっさとテントを片付ける。(途中で蚊にたかられて、足ボコボコにされた)
2日目の予定は、基本的に海沿いを走って輪島に行く。途中で、旧福浦灯台・ヤセの断崖とかの観光スポットを巡る感じ。この辺りは適当で。
昨日に道の駅で買っておいたパンを朝ごはんに食べてから、2日目スタート。
一日目はこちらからどうぞ
この日の天気予報は雨。できれば降られたくないな~なんて思いながら、いまにも降り出しそうな曇天の下、進路は北へ。
最初の目的地は妙成寺。妙成寺とは
妙成寺(みょうじょうじ)は、石川県羽咋市にある日蓮宗の寺院。山号は金栄山(きんえいざん)。日蓮の孫弟子に当たる日像が開祖。日蓮宗の北陸本山で、能登随一の大伽藍をもつ。本堂、五重塔、祖師堂、経堂など10が国の重要文化財に指定されている。塔頭が五寺ある(玉寿寺、善住寺、大鏡寺、円融寺、本覚寺)。wikipediaより
さあ、行ってみよー!と思っていたんだけど、到着してびっくり。まだ開いてない。そりゃそうか、時刻はまだ7時前。待つほど見たい物でもなかったのでここはスルー。次来るときは空いてる時間に来よう。この辺りは、下調べしてない弊害かもね。でも、やっぱり調べすぎは嫌なんだ。
曇天の中を快走。まだ、雨は降り出してない。
さくっと次の目的地、旧福浦灯台に到着。
旧福浦灯台とは
日和山と呼ばれる断崖の上にある、日本で最も古いとされる木造灯台です。1608(慶長13)年、福浦の日野資信(すけのぶ)がこの地で篝火(かがりび)をたき、夜の暗い海を航行する舟を導いたことが「灯台」の始まりといわれています。現在の灯台は、1876(明治9)年にかつての形状を残したまま建造され、新灯台が設置されるまでの76年にわたり、沖を行く舟にその位置を知らせてきました。(ほっと石川旅ねっとより)
これを読んでいるだけで行きたくなりますよね。だって1608年ですよ。関ケ原の戦いが1600年ですからね。ロマンを感じませんか、感じますよね。その上、日本で本で最も古い木造灯台ですよ。行きますよね。てな感じで行ってきました。
こんな感じの細い路地を抜け
到着。
ほんとにこじんまりとした灯台。
西能登あかりちゃん、なんかもうちょっとなかったのか、、、? |
石碑の左にある岩倉右大臣というのはきっと岩倉具視のことだろう。
看板によると北前船で栄えていたそうだ。
「北前船」懐かしい単語だ。大学受験の時に覚えた単語。こんなところで繋がるとは思わなかった。でも、勉強していたものがこうして実際の生活と繋がった瞬間というのは、ほんとにおもしろいと思う。
「日本史なんて勉強したって無駄」とかいう人がいる。でも、間違いなく僕にとっては無駄ではなかった。現にこうして日本史の知識が旅を楽しむ一助になっている。大学受験の時に「お前にその大学は無理だよ」と言われたのが悔しくって勉強した2年前の僕、君の勉強は無駄になってないよ。ありがとう。
何だか、話が明後日の方向に逸れ出してるので、先に進もう(物理的
すろー |
何が釣れたんだろう |
出航!! |
次の目的地は義経の船隠し、のはずだったんだけど巌門という看板が見えた瞬間そっちの方に進路変更していた。
巌門っていう名前に記憶があった。確か、グーグルマップに書いてあった気がする。どんなところなんだろう。門があるんだろうか。全然知らないけど興味が湧いてきたから行ってみよー!
旧福浦灯台からはすぐ近く。サクッと到着。
なるほど、この階段を下りていけばいいのね。
最近、旅の途中で歩きを入れることが増えて来た。前まではひたすら走っていたけれど、歩きを入れるというのも悪くないな。自転車に乗っているだけでは見ることが出来ない景色を見ることが出来る。
巌門って何かの門ってわけではなくて、海岸景勝地の一つの名前だったのね。安藤広重、この人も日本史でやったなあ。習ったときは歌川広重という名前だったけど。
散策路があったので辿ってみることに。
洞窟!洞窟!
結構天井が低くってびっくりした。それにしても不思議な形をしている。日本海側は奇岩みたいなものが多いように思うけど、ここもその一つ。いつも思うけど、なんでこんな形になったんだろうか。
旧福浦灯台のところから出港していた船を発見。どうやら遊覧船が出ているらしい。今回は時間がなかったのでスルー。
一周して戻ってきた。それにしても閑散としすぎてないか?人間はおろか猫の子一匹いやしない。
スピーカーから大音量で流れる今流行りのJ-POPと、今にも降り出しそうな雨雲がさらに寂しさを掻き立てている。いいところなんだけどなあ。
再スタート。
世界一長いベンチなるところにも寄ってみた。確かに長い。
こうしたモニュメントがベンチの至る所にある。
どうやら、夜にライトアップされ、恋人とイチャイチャするような場所らしい。いい子のみんなは一人で来ちゃだめだぞ!お兄さんとの約束だからな!!
ということで心がやられてしまう前にサッサと退散。先を急ぐ。
こんな感じの道を抜けていく。
途中に日本の棚田100選の一つがあるという看板が見えたので寄り道。
大笹波水田というらしい。綺麗に棚になっている。
こんな感じで寄り道ばっかりしているといつの間に義経の船隠しに到着。
少し歩いたところにあるらしいので、自転車を置いて、てくてく歩く。
本当に船が隠せそうな切れ目。源義経がここで追手から隠れられたのも頷ける地形。本当に隠れたかどうかは置いておいて、そういう伝説が残るっていう方が大事なんだと思う。
もう少し海の方まで歩けそうだったので、さらに進む。
ごつごつしている。ものすごい迫力。何だか、刑事さんに追い詰められて、泣きながら自白してそうな風景。
しばし、ぼーっと見とれて再出発。
次なる目的地はヤセの断崖。と、言ってもすぐ近く。数百メートルしか離れていない。
なんでも、松本清張の作品にも登場したところなんだとか。
ヤセの断崖の名前の由来は、作物が育たないほどやせた土地だからとか、先端に立って海を望むと身がやせる思いがするから、とからしい。
ただ、その先端に立つと、安全柵があって海がのぞき込めないようになっていて(当たり前か)、身がやせるような思いはしなかった。ちょっと残念。
つぎなる目的地は琴ヶ浜。別名泣き砂の浜。どういう意味なのか知らないけど行ってみよー!(今回マジで下調べ全然してなかったな)
正直、下調べをしても出てこない情報というのはたくさんある。行ってみないと分からない情報。道を走っているといたるところに観光スポットの看板がある。だけど、軽く調べた程度じゃ出てこなかったものばかりだ。こういうのを見つけていくのが楽しい。
今回めちゃくちゃ寄り道ばっかりしていると思われるかもしれないけど、実際は、時間的・場所的制約で泣く泣くスルーしたところも結構ある。でもこういう心残りがあることで、また来ようと思える。
そんなことを考えていると、ここも近いのですぐに到着。
看板によると、歩いた時に「キュッ、キュッ」という泣くような音がするらしい。ご丁寧に鳴らし方まで書いてあった。
よし、鳴らしてやろうと意気込んで、看板に書いてあった通りにやってみる。が、しかし。
鳴らねえぞ。
やり方が悪かったのかと何回か試行錯誤してもダメ。場所が悪かったのかと、移動してみてもダメ。日頃の精進が足りないせいかと思ったんだけど、実は鳴るところと鳴らないところがあるらしく、僕が鳴らそうと頑張っていたところは鳴らないところだったらしい。
結局、一度も鳴らすことが出来ず、靴の中が砂だらけになっただけで終了。とほほ。
琴ヶ浜にて。なんか気持ち悪い。 |
さて、傷心気味だけれども前に進む。
!?!? |
トトロだー!! |
ちょうど昼時だったので、道の駅赤神に入る。注文したのはフグのから揚げ定食。知らなかったんだけど、この辺りはフグが有名らしい。
いただきまーす。
フグのから揚げのお味はというと、うまい!
サクサクの衣の中にほくほくのフグの身。ペロリと食べ終わってしまった。美味美味。
お腹が満たされたところで再出発。
雨予報で、この天気— Tomy (@Tomy_viajar) September 11, 2019
ラッキー pic.twitter.com/2rL5EX4wWG
そう。そしてまだこの時点でも、雨が降っていないという奇跡。ただ、右手の山にはどんよりとした重たい雲が垂れ込めているので、油断はできない。
海沿いを走っていると、なんだか「黒島天領」という看板が目についた。「天領」って日本史に出てきた気がするけど、なんだったっけ。とりあえず行ってみよう。
こういう路地や、 |
こういう路地が好きです。 |
看板に書いてある説明を読んで思い出した。天領は江戸幕府の直轄地のことだ。
それにしても家の作りが独特なように感じる。同じ日本海側の地域でも、春に行った山口県では弁柄色の瓦だったし、この間行った佐渡ともちょっと違うように感じる。
外壁に使われているのは何だろうか。黒くなっているのは塗料なのか、それとも焼杉みたいなものなんだろうか。単純に経年変化何だろうか。気になる。(だれか詳しい人いたら教えてください)
こういう切り口で旅をするのもまた面白いんだろうな、きっと。
さて、この辺りまでいいペースで進んでいたんだけれども、だんだんと向かい風になってきたことに加え、昨日よく寝られなかったせいか、どっと疲れが押し寄せて来た。しかも、ここまでずっとほぼ平坦だったのだけれども、アップダウンが激しくなるという苦しみが。
ここから国道と別れて、細い県道に入る。この県道がすごくって、人の通った気配が全くない。道の上には落ち葉と木の実と動物のフンが散乱していて、道のわきでは時々ガサガサなっている。その上、木が上を覆っているので薄暗い。能登半島って熊出るんだっけ、と本気で心配になるほど雰囲気が悪い。
こういう道はさっさと抜けたいんだけど、体が何だかだるくってなかなかペースが上がらない。それでも何とか無事に森を抜け、海が見えた時はものすごくホッとした。
あそこまで行くよー |
この後も、前半戦とは打って変わって、登っては下る、登っては下るの繰り返し。正直体がしんどいし、思いっきり向かい風で全然進まないけど、ペダルを回すしかない。ここは無心になってペダリングに専念。
こんな天気だから涼しくなると思ってたけど、めちゃくちゃ蒸し暑い。湿度が高く、まとわりつくような暑さがずっと残っていて不快。そして容赦なく体力を奪っていく。
これで、風をよけているんだろうか。
登っては、
下るの繰り返し。はあ、しんど。
そしてまた登る。はあ。
最後の登りを終え、下って本日の宿泊地、袖ヶ浜キャンプ場に到着!
今日はここをキャンプ地とする! pic.twitter.com/eSBV9ZZgsU— Tomy (@Tomy_viajar) September 11, 2019
もう正直へとへとになっていた。やっとの思いでテントを立て、パニアバッグ1つをテントの中に放り込んで、いったん休憩。助かったのは雨が一度も降らなかったこと。これで雨が降っていたら、と考えると正直恐ろしい。しかも、能登半島の先は電車が通っていない。つまり、エスケープができない。これから能登に行く人は注意されたし。
それにしても風が強い。海に面したキャンプ場だから仕方ないのかもしれないが、テントの中が今のままの量の荷物じゃあ、飛んで行ってしまいそうだ。適当に荷物をテントの中に追加で入れて、飛ばないようにして、輪島の市街地の方へ散策。
まずは道の駅に行って晩御飯についてオススメを聞いてみる。いくつか教えてもらった後はこの道の駅自体を散策。
ここはもともと、鉄道の通る本当の駅だったそう。廃線になったので道の駅として利用しているらしい。
そのあとも、街中を散策。
教えてもらった定食屋さんに入り晩御飯を食べた後は、銭湯へ。昔ながらの銭湯でゆっくりと疲れをとる。
もうそのあとはテントに戻り寝るだけ。
波の音とテント— Tomy (@Tomy_viajar) September 11, 2019
贅沢だ pic.twitter.com/39Gga5WAAB
最初はこう思ってたんだけど、途中から風がさらに強くなって、テントが揺れているのが体に伝わるようになってきた。しかもテントの側面が頭にバタバタぶつかってきてとてもじゃないけど寝られない。
持ってきている荷物全てテントの中に入れて四隅に配置。ようやく、寝床が整った。この強風のおかげか、気温がぐっと下がってきた。今日はよく寝られそうだ。
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距離109㎞ 獲得標高1295m |
続く。
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